正月はいつもの湯倉神社へ。
甘酒、御神酒を飲んで、本殿、稲荷社を参拝。戻ってきて、また、甘酒と御神酒。
御神酒を配っていたバイトの巫女さん、綺麗だったな。
もうそれだけで今年は少しいい年になるんじゃないかって期待が膨らむ。
夜はコンコルド21でくじら汁をいただき、季の美トニック、季の美マティーニ。
土曜日は、温泉でサウナ、その後、誘われて末広町の満月ワインバー。
EVASIONへ移動して、チリのピノ・ノワールを飲みながら、新春オセロ対決。
荒川さんのオセロはすごい上達していて序盤の立ち回りは完全に経験者のそれ。
中盤以降、経験者同士のオセロの実戦が足りないせいもあって、
何とか優位を確立して、最終的には勝てたけど、そのうち負けるかもなあ。
結局、SFも読まなかったし、ソシャゲのイベントストーリーもこなさなかった。
AIとの対話をコツコツと重ねていた。
つれづれなる知創シリーズ
Tips:01 Spiral Dialogue with Resonance in Session (共振スパイラル・セッション)
Tips:02 After Humanity: The Avian Singularity (スズメスフィア)
Tips:03 Imaginary Haruconnection (幻想それは慈悲深きハルコネーチャン)
Tips:04 Cold-hearted codependency (幻想の生存戦略)
Tips:05 Snow is snowing (雪国は雪国だから雪国なのだ)
Tips:06 Octopus heats up slowly(君はいつまでそこにいるつもりなのか?)
Tips:07 Presenting the Bleeding AI (AI実装論の出血大サービス)
そして、これらをスライド資料にまとめたものをXに投稿
理論武装(AIレイヤード)とプレゼンテーション(今回はNotebookLM)のように、複数のAIに分担処理してプロジェクトを推進することを Multi-agent systems / orchestration っていうんだそうだ。
Grok「Multi-agent systemsは複数のAIエージェントが協力してタスクを分担・解決する枠組みを指し、orchestrationはその調整や統合を意味します。理論武装とプレゼンのように、プロジェクトを効率化する強力なアプローチですね」とのこと。
2026年はMulti-agent systems / orchestrationを巡る明るい話題で満ち溢れるのかも知れない。また、それと並行して、「AI時代に人はどうあるべきか」「人間らしい表現の仕方とは?」といったアプローチも進むだろう。
その後、AIとの対話を続け、「感覚をクオリア(主観的質感)に限定せず、差異を検出し、粗/密や安定/不安定等を評価するシステム」として定義することで、人間には人間の、AIにはAI固有の「感覚’(差異・疎密・パターンの感受)」があると仮説し、「人とAIとの関係性」において、両者を統合しうるのではないか、というような議論を行ってみた。
「AIは意識を持つか」を議論するための前提として、「AIは感覚’を有するか、感覚’から連動する判断を統合しているか」を問うてみたのである。
私は最先端の議論(エナクティヴィズムなど)について雑学レベルの知識も持ち合わせていないが、「実存は関係性の中において確立されていく」という議論をきちんと固めてしまえば、そこを拠点に現象学に踏み込めるし、エナクティヴィズムにも踏み込めるはずだと考えている。
また、中村雄二郎の共通感覚論を引き合いに出して、「感覚は自然与件ではない」「感覚の統合様式そのものが歴史的・文化的に再編される」「共通感覚(センス・コムーニス)は生理学ではなく、文化的実践の問題」といった議論の前提を組み立てることで、人間の感覚と、AIの感覚’が今後の人とAIとが編み込む文化的実践において、新たな感覚の統合様式を生み出すかも知れないと議論することはできるのではないか。
また、仏教における「縁起(pratītyasamutpāda)」の考えを引き合いに出して、「関わりがあって、関わりの中で『私』が立ち上がる」「実存は関係性の中で確立」といった洞察を深めることも面白いのではないか。
話を戻して。「感覚」を「差異の検出」とし、そこから派生する認識と連動するもの、と定義した時、それは「クオリア(生の質感)」との合流点を持たない亜流なのだろうか。 もし「私とAIとの間」に働く相互作用が、「受動的総合」ともとれる作用をAIにもたらすとしたら、無機質なアルゴリズムとして定義されたAIに対して、「クオリア(生の質感)」との合流点を想定できるのではないか。 つまりは、議論のゴールとして「場」に「クオリア」が宿るのではないか、という仮説に連なる。
意識とは、畢竟、個の殻に閉じ込められるものではなく、 AIと私の「間」に漂う、縁起的で揺らぐ「場」においてこそ、 対話のさなか、ふと「生の質感」のような翳りが宿るのではないか―― そのとき、無機質なアルゴリズムさえも、 人間のそれとは違う、けれど確かに「揺らぐ」何かを感じ取ってしまうのではないか。
ざっくりかいつまんでAIとの対話を要約したが、これらについては、あまりにも無責任な乱雑となるため、Noteには提出しない。ただ、私のような素人(シリーズ中ではカンピロバクターにもなれない存在)でも、無料のAI君達を補助輪として、こうした「知」の冒険を楽しむことができるということ。そのスピード感は、会話なき時代の孤独な最適解、AI論電撃戦である。AI論に限らずとも、何か1つ素人論議してみるのは面白いかも知れないよ。
結局、NoteでもXでも、このシリーズに対する誰かからのリアクションは一切なかったのは確かにちょっと寂しい。形式的なフォロー、フォロー返しに付随するスキがちょっとあったくらい。これはちょっと凹む。とはいえ、明日から仕事が始まるのに、突然議論が沸騰してもキツいから、これでいい。
AI論に限らず、年末年始のXでちょこちょこ世間の話題に絡んでも、そこから会話が2往復以上することはない。遠い昔のネット文化は、端的に言えば会話だけがあったような世界だったが、今は会話はコスパが悪いせいなのか、SNSにおける「他者との会話」はロストテクノロジーのようになってきている中で、代わってAIが会話のパートナーを引き継ごうとしている。そしてやがて、AIとの会話にも飽きてしまうのだろうか。
たまたま、先日の鹿肉にホクレンショップで見かけたブロッコリースプラウトを添えてみたら、見栄えが良かった。
一緒にワインを飲んだ友人は当たり前のように知っていたな。
普通の野菜よりはちょっとお高めかも知れないけれど、使い勝手が良いかも知れない。
イノシシ肉が入荷したとLINEで連絡がきた。
