【闘病記】再発・疑    | 言葉にしたいこと

言葉にしたいこと

日々感じたことを徒然に言葉に残していきたいと思ってます。

2004年からブログを綴っています。ブログ内容はその時々で。
2022.8 〜
急性骨髄性白血病を発症。 夫と2009年生まれの娘の3人家族。自身の闘病生活を綴っていきます。

見ていただきありがとうございます。

 

急性骨髄性白血病(M2型)202282日から闘病中。

夫と中2娘の3人家族、高齢お母さんです。

自身の闘病生活を、誰かのために自分のために、

【期間限定を目標】に綴っていきます。

 

 

1クール目 寛解導入療法寛解 8/2(火)〜9/6(火)

地獄絵図の副作用

一時退院 9/6(火)〜9/14(水)

2クール目 地固め療法1回目 9/14(水)〜10/8(土)

一時退院 10/8(土)〜11/1(火)

帯状疱疹で地獄再び、入院延期

3クール目 地固め療法2回目 11/1(火)〜11/29(火)

副作用のコントロールができ安定入院期間

一時退院 11/29(火)〜12/13(火)

お出かけできて幸せな2週間

4クール目 地固め療法3回目 12/13(火)〜1/11(水)

年末年始何も食べられない入院期間

一時退院 1/11(水)〜1/24(火) 

5クール目 地固め療法4回目 1/24(火)〜2/27(月)

                      3週間絶食 壮絶な副作用の最後の入院期間

 

               本退院 2/27(月)

 

〜入院生活延べ 156日〜

 

退院後 自宅療養 約1ヶ月

2/27(月)〜3/31まで だけ笑い

4月1日 時短(半日週2日から)で職場復帰 

                  月1回の外来開始〜

 本退院3ヶ月後からWT1検査は隔月に 

 6月から週5日6時間勤務に

 

 11月中旬にインフルエンザ 2週間ほど調子崩す

 

1月23日 11回目の外来予定 ←今ここ気づき

 

 
 
 
世間一般でいう仕事始めの1月4日。
日も暮れた16時55分。
恐れていたことは突然やってきた。
 
 
 
主治医からの電話。
 
 
最初に私の携帯電話に気づいたのが娘で、「お、お母さんっ!日赤から電話!」と渡してくれたら切れてしまい、携帯からかけ直している最中に家電が鳴り。
 
娘が取り、「お母さんっ、日赤の先生からだよっ」って。
 
 
 
 
 
 
もうその時点で、悪い予感しかない。
 
 
 
 
(こんな年明け早々に、何だろう?12月の血液検査のことだ‥)
 
 
 
主治医の先生からのお話。
半分くらいしか頭に入ってこなかった。
 
 
WT1の数値が高すぎて。
400…
 
 
WT1の検査結果は悪ければ1週間以内に主治医から電話があるのですが、今回もなくてセーフ!とホッとしていたのに。
クリスマスも年末年始も、晴れて楽しく過ごせて幸せだった。
 
 
幸せだったんだよぉ…
 
 
なのに、一気に奈落の底に突き落とされた。
 
 
 
 
12月19日に出したWRT1の数値検査が、再検査に出されたらしく、最終結果報告が来たのが年明けになったとのこと。
 
 
 
先生からその説明を聞いた時、思わず出た言葉。
 
 
 
「先生っ、私、年末年始を過ごせたから、だから私、幸せです!年末に連絡がなかっただけでも、ホント良かったですー (泣)」
 
 
 
 
 
 
まだ再発だとはっきり決まったわけではないけれど、もうこの数値じゃ…
 
 
先生からは早いほうが良いと、10日に再検査を言われたのですが、年始から風邪気味なことを理由にして16日に伸ばしてもらいました。
本当に風邪気味だけど、少しでも入院を先延ばしにしたい。
 
 
少しでもこっちにいたい。
入院したら今度は移植。
当分戻ってこれない。
また娘と離れるなんて。
夫に苦労かける。
皆に心配かける。
 
 
 
電話を切ってから、もう頭の中が真っ白。
 
 
 
夫に話した後、だんだんとこれからのことを想像しちゃって。
何しとけばいいんだっけ?とカレンダーの予定を確認したり、冷凍庫の食材を見たり、あー、どうしよ、どうしよ、とバタバタする私。
 
 
今慌てたってしょうがないのに。
 
 
じっとしてなんかいられないのよ。
 
 
そしたらさ
こたつに入ってた娘が顔を真っ赤にしてメソメソ泣いていて。声を出さずに泣いてた。
 
 
 
それが… 一番こたえた。