弘前31連隊福島大尉に、「過去二日間のことは絶対口外すべからず」といわれ、大滝平に置き去りされた嚮導7名は、気を取り直してともに励ましあい田茂木野を目指して進んだ。嚮導の一人が疲労と不眠で睡魔に襲われ、何度か眠りをとろうとしたものの、その度に抱き起して前進した。

 真夜中、部落に着いた。所々の家は既に起きており、騒々しくもあった。

〈さる家に宿を頼んだが無念にも断られ暫く軒先に立ち往生したが田茂木野村であることを知ることができた。聞けば五連隊捜索隊の宿泊する為であるとか。止むなく土間を借り木炭を譲り受け鍋を借りて「ワッパ」の侭煮て氷となった飯を溶かしてこれを食べた。時午前四時頃

 食後しばらくの間、嚮導は寝てしまう。

〈一同は覚悟を決めて同地を出発正午頃漸く待望の青森に転がるように辿り着くことが出来た。途中人、馬橇が陸続きとして一里以上も長く続いて擦れちがった。これは五連隊遭難兵の捜索隊であったのである〉

〈辛うじて浦町駅に転がり込みここから乗車して東北線沼崎駅に下車、八里の道を増沢に向い進んだが誰一人語る者はいない安否を気づかい待ちわびてる妻子をしのびながら……。〉

〈漸くにして我家の敷居をまたいだのは三十日午前二時頃。家内に支えられて倒れるように家の中に転がりこんだが顔面は腫れ上がり四肢は凍傷に冒され股引は脱ぐ事が出来ない。仕方なく切り開いて脱ぐあり様である。その上二目とは見られぬ容貌……に家族等は皆泣き悲しんだのも当然である。それでも生きて還ったことを家族等はせめてもの事として喜んだ。〉

〈その後病者のように床に臥しなどして数日を経たが凍傷の手当ての療法も判らぬうちに症状が悪化する者が続出した。……の如きは恢復せず十数年廃人同様に過ごし遂に死亡したのは誠に同情に価するものである〉(福沢善八「八甲田山麓雪中行軍秘話」)

 

 昭和5年までの28年間、嚮導ら7名は、福島大尉の「過去二日間のことは絶対口外すべからず」を守り、家族にさえ話すことはなかった

昭和5年1月、嚮導の一人が知人と雑談中に、「東奥日報」に載った歩兵第五連隊雪中行軍遭難記念行事が話題となり、「雪中行軍ならば私も関係がある」と発言したことにより、弘前31連隊福島大尉率いる教育隊の隠された出来事が明るみになったのである。(来週に続く)