先日、Nスぺで「激闘ガダルカナル悲劇の指揮官」を観た。

敵情不明なまま攻撃を開始しなければならなかった一木支隊。結果は全滅。

ガダルカナルの敵情を示し、攻撃を命じたのは、責任のない参謀本部。

その参謀本部は、東京の机上で見積もり、判断したのだった。

 

 どうも日本陸軍は敵情を低く見積もるクセのようなものがあったようだ。

いや、そもそも日本陸軍の特性として、敵情軽視、作戦重視があった。

太平洋戦争を突き詰めると、すべてそこに行き着くのではないだろうか。

 

 明治における歩兵第五聯隊第二大隊の雪中行軍遭難事故において、目的地を知る者は誰もいなかった。

そして、雪中における野営は、訓練不足、経験不足でまともなことが何一つできていなかった。

さらには、帰る方向すらわからないのに行軍を始め、彷徨した。

 連隊本部は、演習部隊の帰隊が1日遅れているにもかかわらず、転出将校の送別会をやっていた。

 

 これらから浮かび上がるのは、基本ができていないということである。

基本は過去の教訓に学び、つくられているものと思われる。

 結局、基本的なことができないと何事も失敗するといえるのかもしれない。(来週に続く)