- 当時の雪中行軍に関する写真資料が、『青森県立図書館デジタルアーカイブ』で公開されている。
- 第7中隊長の原田大尉は、師団の被服委員会参加のため、遭難となる演習に参加していなかった。
- 遭難が明らかになった以降、田茂木野に開設された死体収容所の長となっている。
- 次の写真の注記に、「1、田茂木野村遭難事件事務所前において事務官一同撮影すたる場なり 2、この日も非常の降雪にして外套の上に白く見ゆるは皆雪なり 写真に向って1番左にあるは青森歩兵第5連隊第7中隊長原田大尉 2番は第八師団付参謀官 3番は5連隊第10中隊付三神少尉 4番は同第8中隊付吉田中尉 5番は同第一大隊長木村少佐 その他は死体収容係なり」とある。

- 次の写真に死体収容所で勤務する三神少尉が写っている。注記にこうある。「1、田茂木野死体収容所において死体氷解の場 2、死体の傍に立つあるは三神少尉なり 3、筵を覆え鉄線造の寝台へ上げ下より火を以って解かし居るなり 4、一名の兵卒屈して見あるは氷解すたるや否や検する処なり」
- 凍結した遺体はここで溶かし、制服を着せて納棺して筒井の営所に運ばれたのだった。

- 5連隊が彷徨していたときに弘前31連隊の教育隊(教官:福島大尉)は三本木にいた。次の写真は、田代街道の三本木側入り口付近で撮影されたもので、福島大尉と東奥日報の東海記者が写っている。注記には、「第5号図は1月26日雪中行軍隊八甲田山に向う前日倉手山の断崖に氷笋の懸るを看つつ休憩するの状況なり大瀑の如きものは皆な氷笋なり行軍者の携うるに條の白棒もまた氷笋なり撮影はこれを以って最後とす」とある。
- 「撮影を試む福島大尉と予とは氷柱の直きものを選んで杖に擬し一行と共に之に加わる」(1月31日、東奥日報号外)

- (左手前が福島大尉、中央ハットを被っているのが東海記者)
- 福島大尉率いる教育隊の雪中行軍に従軍した東海記者は、その後新聞社を辞めて陸軍に入隊している。しかしながら、職業軍人になることもなく除隊後一時北海道に渡ったが帰郷、45歳で亡くなったという。生前、雪中行軍に関して多くを語りたがらなったという。
- 東海記者は5連隊の兵士の遺体を見たことや銃を拾ったことを記事にしていた。もしかしたら、それによって、不遇な人生を送ることになってしまったのではないか。(来週に続く)
