42年前、高校卒業後すぐ第5普通科連隊に入隊した。前期3ヵ月の教育が終わる頃、田代平でジンギスカンを食べた。あの頃は多くの観光客がバーベキューをしたり、お弁当を広げたりで結構な行楽地だった。あの頃に比べると、今は訪れる人が少ないように思う。

 

 後期3ヵ月教育中に映画「八甲田山」を観た。この時初めて歩兵第五聯隊の遭難事故を知った。部隊の中ではそういった話題を聞いたことがなかった。映画での山田少佐に怒り、事故の凄惨さに驚いた。5連隊の隊員として五聯隊の失敗や弘前三十一聯隊の成功は面白くなかった。その時は単純にそう思っていた。

 

 後期教育を終えた9月頃、5連隊の一般部隊に配置となる。そして年が明けた2月に八甲田演習に参加し、冬山の厳しさを知った。重装備に背のうを背負い、アキオ(そり)を曳く。スキーで雪面を蹴るもののスリップして体力を消耗する。宿営地までもつかななどと不安になっていた。アキオを曳くロープがゆるむと、「休むなッ ひっぱれッ」と怒鳴られた。がむしゃらに曳くだけだった。前がつまって停止すると本当にうれしかった。

 宿営地で便所掘りをした。掘っても掘っても地面が見えない。際限がないように思い、雪や作業に腹が立っていた。4メートルほど掘ると腐葉土が白い雪に散る。さらに掘り進めると黒い土になる。ようやく作業の終わりがみえホッとした。見上げると恐ろしく深い。

 先輩隊員らが掘った雪壕の中で、インスタントラーメンを煮る。今はもう販売されていない「ちびろく」。八甲田演習の必需品だった。特に味噌味がうまかった。

 仮眠のため、スリーピングに入って毛布を被るものの寒くてなかなかねむられない。ねむっても底冷えがして何度となく目が覚める。

真夜中、歩哨についた。外に出ると一瞬で目が覚める。頭の血管がブチッと切れそうな寒さだった。四周、上空警戒。といっても仮設敵はいない管理野営。

 見えるものは雪と木そして星空。非日常的な静寂が不気味さを増し、ブナの幹が人に見えたりする。これまで見たことのないほどのきれいな星空。

 

 五聯隊の遭難事故を調べ始めたのはそれから20年近く経ってからのことだった。5連隊に在職していたが、遭難事故については映画で観ただけのことしか知らない。部隊の書棚に小笠原弧酒著『吹雪の惨劇』があったので、ところどころ読んでみると映画となんとなく異なる。やはり自分できちんと調べようと思い至った。過去の新聞、史(資)料、書籍等を集め、調べた。現場にも何度となく行った。自衛隊定年後、再就職することなく執筆を始めた。調べ始めてから20年あまりして『八甲田山 消された真実』が出版された。

 

 これまでのことを思うと、ずいぶんと人に助けられ、支えられてきた。

自衛隊(5連隊)に入隊した動機となった中学の先輩、自衛隊での上司・先輩・後輩、本にしようとしたときに受け入れてくださった山と溪谷社・編集担当者様、そして、私の本を購入してくださった皆様、このブログを読んでくださった皆様、誠にありがとうございました。感謝申し上げます。

 

 歩兵第五聯隊の遭難事故についてあれこれと書いてきましたが、そろそろネタも尽きて来たようです。ここでひとまず遭難事故に関する記述を止めることにしようと思います。ではまた。