1月25日(行軍開始から三日目)
帰路偵察に出た斥候の一組が、鳴沢で放置された橇を発見し、馬立場方向への帰路が判明した。
1200頃、倉石大尉以下の主力約60名は第二露営地を出発する。
その主な顔ぶれは、山口少佐、伊藤中尉、大橋中尉、中野中尉、永井軍医、今泉見習士官,小原伍長等である。
そのとき、第二露営地には60名あまりが残っていた。
歩行できない者、ついて行くことができない者、自らが思う方向に進もうとしている者等である。
そのなかに、神成大尉、鈴木少尉等がいた。
小原伍長は次のように証言している。
「後の残っている人たちが、皆、田茂木野の方だと思って方向もろくに確かめずに行ったでしょ……」
つまり、歩行できたが、倉石大尉率いる主力について行かない者がいたのだった。
第2露営地から北上(田茂木野方向)する経路上及び駒込川沿いの死体数と生存者の数を確認すると120名あまりとなる。
歩行できなかったり、ついて行けなかった者も必死で主力の跡を追ったことがわかる。
おそらく歩行できなかったものは這いつくばって進んだに違いない。
倉石大尉以下約60名の前進も順調ではなかった。馬立場辺りで彷徨していたのだった。
その間においても続々と落伍者が出ていた。
倉石大尉の陳述書には、倉石大尉が神成大尉と連絡をとりあって行動していたとしているが、神成大尉は翌26日朝まで第二露営地から動いていない。倉石大尉が神成大尉と連携などできるはずもなかった。
(来週に続く)