明日3月16日、拙著『生かされなかった八甲田山の悲劇』(山と溪谷社)が発売されます。
目次は次のとおりとなっています。
はじめに
第一章 雪中行軍の生存者たち
第二章 津川連隊長の岩手耐熱行軍
第三章 旅順総攻撃
第四章 友安旅団長の二〇三高地
第五章 第五連隊の出陣と八甲田山追憶
第六章 立見師団長、苦戦の黒溝台
第七章 冬の戦争と雪中行軍
あとがき
生存者の証言を個々に表わしています。
そして遭難事故以後、彼らはどのようにしていたのか。
田代越えの三十一連隊に従軍した東海記者や福島大尉の親友齋藤記者のその後は。
津川連隊長が力を入れて実施した岩手県の耐熱行軍の目的は、そしてどうだったのか。
多大なる犠牲を出した旅順の作戦・指揮はどうだったのか。
二〇三高地の責任者友安旅団長が辞めるといった理由は何だったのか。
満州で正月を迎えた五連隊の様子はどんなものだったのか。
なぜ立見師団は苦戦したのか。
五連隊の死闘の様子はどうだったのか。
倉石大尉は、伊藤中尉は、長谷川特務曹長は、福島大尉は、……
八甲田の教訓は……
今回の目玉の一つとして、倉石大尉が遭難事故の原因を語っています(書き残しています)。
それを、先月(2月)、国会図書館で発見しました。
本来であれば、新聞で発表してもおかしくないものなのですが、私は本で明らかにすることといたしました。
ぜひ読んでみて下さい。
