26日朝、倉石大尉以下の主力は按ノ木森付近にいた。
伊藤中尉はその日をこう証言している。
「二十六日私は倉石大尉と相談して、このままいる時は只死を待つのみであるから、賽の河原より駒込川に沿うて青森へ下る方が一策であると提言し、元気ある者を集めて大滝の下を望んで下りた。駒込川をはさんで両岸は絶壁で、苦心して下り滝つぼに至り川を下らんとしたが、上流のため流れが早く川が凍うていないため歩くことができなかった。疲れのため元の位置に引き返す元気もなく、進むに進まれず、進退窮ってしまった。私が全員を点呼したら十八名あった。今は只死を待つばかりの十八名は水を飲み、雪をかじり岩によりかかっているうちに、渓谷の滝つぼは山上より暖かいため急に連日の疲れが出てウトウトと眠った」(青森市史別冊雪中行軍遭難六〇周年誌)
神成大尉(鈴木少尉、及川伍長、後藤伍長)は、第2露営地から馬立場~按ノ木森と進み、大滝平に到着したのは、日の入頃となっていた。
進路を確認しようとして鈴木少尉は前方の開かつした場所に進んでいたのだが、突然三人の視界から消える。雪庇でも踏んで落下したのだろう。しかしながら、他の三人にその安否を確認する体力はなかった。
間もなく、及川伍長も倒れ動けなくなってしまう。
「之を介抱せんとしたるに、及川伍長は之を遮り此のまま死するも苦しからず、夫れよりは一時も早く田茂木野に帰られたし……」(1月30日号外、東奥日報)
神成大尉と後藤伍長は歩みを進めるもののすぐに動けなくなってしまう。二人とも、疲労困ぱい、凍傷で精根尽き果てていた。(来週に続く)