後藤伍長は、三神少尉率いる捜索隊?食料運搬?に救助される。
その救助にあたった者が巖手毎日新聞(関係者?)に事情を明らかにしている。
(明治35年2月2日、巖手毎日新聞)
「捜索隊をして遭難地に出張したる某氏よりの信書を得たるを以て重複の嫌いあれ共左に全部を掲ぐべし」
「……山腹に人影あるを認むれ共大吹雪の為め確かに人たることを知り得ざりしが漸く雪を排して進めば是ぞ第八中隊伍長后藤房之助氏にして一人なりやと問えば神成大尉も居る筈なり……」
「……翌二十五日午後二時頃再び田茂木野方向を指して出発せり……神成大尉如きは大呼して曰く兵卒を殺して独り将校のみ助かる筈なしとて衆を励まし進めり……」
「……翌二十七日朝、神成大尉曰く余既に歩行する能わず汝は之より行て村民に語れと」
「然れ共進むを能わず漸くにして約五十米突(約三十間許)進みしが此の間三時間を要したり」
「力已に尽きて一歩も進む能わざる時益々吹雪は烈しく面を向け能わざる程なりしが遥に捜索隊の来れるを見て声を限りに叫びされ共元気衰えて声かれ捜索隊に聞こえざりしならんと……」
いろいろな資料から27日朝の状況などをわかりやすく書き表わすと次のようになる。
1月27日08時頃、神成大尉は後藤伍長に命ずる。
「自分はすでに歩行することはできない。お前はこれから田茂木野に行って村民に伝えよ」
そしてこうも話す。
「兵隊を凍死させたのは自分の責任であるから舌を噛んで自決する」と。
神成大尉は多くの犠牲者が出ていた25日にはすでに覚悟していたのかもしれない。
「兵卒を殺して独り将校のみ助かる筈なし」と隊員を励ましていた。
その日の未明には、「これは天が我ら軍隊の試練のために死ねというのが天の命令である、みんな露営地に戻って枕を並べて死のう」とも叫んでいた。
後藤伍長は神成大尉の覚悟を知り、自らも覚悟を決めて歩き出した。
だが凍傷で足が自由に動かない。また雪は深く腰まで埋まる。悪戦苦闘して3時間ほど歩いたところで力が尽きてしまい、一歩も進めなくなってしまった。
その位置は神成大尉からおよそ100メートルしか離れていなかった。
11時頃、後藤伍長は前方から人が近づいてくるのを認め、声を上げて叫んだ。
だが、猛吹雪のためか捜索隊には聞こえていない。
その捜索隊も前方に人らしきものを認め、近づいて後藤伍長を確認する。
捜索隊は後藤伍長に「他に誰かいるか」と問うと、後藤伍長は、「神成大尉…神成大尉…」とかすかな声を発した。
捜索隊は付近を探し、雪中に埋まっていた神成大尉を発見する。
軍医は応急処置を施すものの、神成大尉は既に息絶えており、蘇生することはなかった。
捜索隊の兵卒1名が卒倒するなどしたため、田茂木野に引返すことになる。
後藤伍長と兵卒をそれぞれ毛布に包み引きずって山を下った。
捜索隊の人数は14、5名で、それに4名の道案内人がいたが、二人を引きずるのに精一杯で、神成大尉は発見場所に残置された。
(来週に続く)