1月27日17時、
捜索隊は田茂木野村の民家に後藤伍長を収容し、直ちに手当を行った。
「看護するほどに其甲斐空しからず。次第に食を求め煙草を吹く様になれり。依って大隊はいかにせしやと問うに……」
後藤伍長は、
「二十三日(出発の日)田代に着する能わず……翌二十四日……翌二十五日……」
「……三度露営して翌日も又早々出発したるがこの時残るもの僅かに将校二名伍長二名のみ、その内伍長一名倒れ第四回目の露営をなしたる」(2月2日、巌手毎日新聞)
後藤伍長の証言は、三神少尉以下の捜索隊に対して生存者が3名のみであるような印象を与え、驚愕させた。
その内訳は、救助された後藤伍長、死亡が確認された神成大尉、突然と消えた鈴木少尉である。
三神少尉以下は、後藤伍長の証言から演習部隊の生存者は後藤伍長のみと思ってしまったのだった。
小原証言にこうある。
「自分はとにかく助かったが、あとは全部皆凍死していると、そうなったためにもう大騒ぎになって、その三神という少尉の人が、引率していった人が、連隊に一直線に駆け込みましたね、報告に……」
三神少尉は、重大な誤りに気付く。
三神少尉は、後藤伍長を発見したことで楽観していた。神成大尉も発見された時点で連隊本部へ伝令を出している。それは神成大尉の死亡が確認される前だった。
その伝令が連隊本部に飛び込んだのは14時頃である。
「連隊にては二十七日の午後二時頃、伝令息せき帰りて後藤伍長神成大尉他一名を発見したりとのことを注進せしかば……」(2月3日、報知新聞)
その報告によって、連隊長以下は安心してしまう。
「神成は中隊長なれば定めし前導なりしならむ。神成を発見する上は他のものも続々発見せられん」
三神少尉は、演習部隊が恐ろしい状態になっていることを理解した。
速やかに、この状況を連隊長に報告しなければならないと判断し、吹雪のなか、約七キロ先の連隊本部へ向って必死に走ったのだった。
(来週に続く)