(2月3日「報知新聞」、和田連隊副官の直話)
「午後八時頃に至り三神少尉息せき帰り来り連隊長殿の官舎に抵り玄関の所に仆れ水々と呼ばるに、連隊長殿は何事ならんと驚きて立出でられ自身少尉を抱き起してコップの水を呑ましめ介抱を加えたれば、少尉は初めて我に返り後藤伍長を救い出したる顚末を報告せしかば、連隊長殿も大いに驚かれて連隊全部を以って捜索隊となし十分に捜索することとなれり」 【抵り:いたり 仆れ:たおれ】
三神少尉から報告を受けた津川連隊長は、生存者はいないと判断し、今後の捜索目的を死体捜索とした。
「第五連隊長は捜索隊が遭難者を救わんとするに急にして知らず知らず危険に陥り又々救援隊の救援を要するに至らんを虞れ、全体の殆ど凍死せること疑い無き今は、捜索隊の目的最早救援というに非ずして死体を発見するに在れば、各自なるべく危険に陥らぬよう互いに連絡を執らむしることを命じ……」(1月31日、中央新聞)【虞れ:おそれ】
その捜索に関して、連隊長は、陸軍大臣へ次のとおり報告している。
「数日来の救援隊の実験と後藤伍長の言明に依り、根拠遠き一部隊の救援を派遣するが如きは到底其効を奏ぜざるを察知したるのみならず、後方連絡を安全に保持し且つ凍傷患者を生ぜしめざるを目的として27日夜左の方法を以って捜索するに決せり……」
実際には、27日の夜は部隊の出動はなく、28日6時から逐次出動していた。
捜索の具体的な実施要領を簡単にいうと、屯営から演習部隊が露営をした場所(第一露営地)までの間に、約1000メートルから600メートルごとに連絡所(雪を掘って、屋根をかけた待機場所)を構築し、それを拠点として捜索を実施するということだった。そして、捜索隊本部を田茂木野に置くこととした。
そのため、28、29日の2日間がその連絡所の工事に費やされたのだった。それは厳寒のなかで、生死の境にいた将兵を2日あまり放置することになった。(来週に続く)