捜索当時の様子が、「青森衛戍歩兵第五連隊第二大隊雪中行軍遭難写真」(青森県立図書館デジタルアーカイブから)におさめられている。

 

 雪中に開設された廠舎の内部、側壁は雪

 

 田茂木野村、資材集積 

 

 津川連隊長は、将兵の捜索を速やかに実施するために、如何なる俗説、ことわざも採用するとした。その結果、北海道から弁開凧次郎らが雇われた

 

 捜索状況、中央の山は「前嶽」

 

 

 1月31日9時頃、鳴沢第2露営地の西側300メートル付近にあった炭焼小屋から、三浦武雄伍長と阿部卯吉1等卒が救出された。

「そのうちワイワイ騒ぐ音がした。小屋のすき間から2、30人の隊員が中腹を歩いているのが見える。三浦伍長が助けてくれと叫んだが、声にならない。それでもだんだん近づいて来た。私と三浦伍長は小屋からはい出て、二本の木を雪に刺し、それで体をささえて、坐ったまま迎えた。涙が出てどうしようもなかった。」

 

 青森衛戍病院の病室(手前が三浦伍長)

 

(来週に続く)

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八甲田山 消された真実」(山と溪谷社)には、ブログに表わされていない真実や詳しい遭難状況などが書かれています。また、続編となる「生かされなかった八甲田山の悲劇」には、倉石大尉の述べた遭難原因が載っています。興味のある方はぜひ読んでみて下さい。