映画「八甲田山」は名作だと私は思っています。

1月20日、31連隊の徳島大尉率いる教育部隊が、営門を後にし、雪中行軍に出発します。

スクリーン一面に岩木山、縦隊の教育隊は雪原の中、あぜ道のような所を行進している。

徳島大尉軍歌、雪の進軍、始めッ!

「雪の進軍 氷を踏んで どこが川やら 道さえ知れず……」

 

 当時の訓練に参加した泉舘久次郎伍長は、福島大尉が「雪の進軍氷を踏んで……」の軍歌を自ら音頭を取りつつ進んだと後に書き残しています。本当にそうした場面があったんですね……この遭難事故を深掘りするといろいろなことがわかってきます。

 

 福島大尉の恫喝にも似た手紙に、酒肴を準備している、道案内は処置するとしたあの法奥沢の役場はどうしたのだろうか。

 

「二十六日 此の日午前八時三本木の宿舎を発す、宿舎は村長の厚意により安田たか、金崎勤五郎の二家にして清酒及び菓子一折を贈くらる……法奥沢の役場員小笠原耕一氏一行を迎え共に山を下りて国道に出て仝村○○○此処には同村小学校校長鈴木敏吉氏他の職員と共に生徒を引率し一行を村端に出迎えつつあり、一行の至るを見るや『三十一聯隊万歳』、『探検隊万歳』を三唱し尚大深内村と共同にて天狗煙草一個ずつを贈り尚午餐を喫せるの時清酒と吸物をとを饗せられる。暫くにして又行くこと半里、深内小学校生徒は職員より引率せられて村端まで出迎え『雪中行軍隊万歳』を唱う、尚休憩所に同村の豪富なる小原金次郎氏方に休息を設けられ茶菓を饗せらる」(1月30日、東奥日報号外)

 

 当時、この行軍に参加した間山仁助伍長は、そのときのことを次のように書いている。

「午前十一時、川口新田字断の臺小笠原枩次郎方に村長隊を引き入れ庭に休憩所を設け、酒餅煎餅味相鶏の汁物鯣新茶の待遇を受け各人に付き煙草の名大天狗一把宛奇贈す……」(明治三十五年一月廿日雪中行軍日記)

 

 訓練中に昼から酒を飲むなど、何をか言わんやだ。(来週に続く)