ダークヒーロー イン・ザ・スクール (47) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

3月4月は卒業入学のシーズンだ。


学童保育でも4年生は卒所し新1年生が入所して来る。


おれは、その年で学童保育の在宅指導員になって4年になっていた。


おれが、在宅指導員になった時1年生だった児童は4年生になりこの年で卒所と言う事になる。


だから その年に卒所する4年生には、おれなりに思い入れがあった。


その頃の長岡京市内の学童保育は10校あったが、その中で3校の学童保育が特にトラブルの多い事で知られていておれは主にその3校の何れかに日々配属されていた。


おれ自体ろくな指導員じゃなかったが無かったが、暴力や危険な行為に対して毒をもって毒を制す対策だったのかも知れない。


時には、おれがトラブルメーカーになる事もあったが、そんな所を子供達は気に入っていた。


卒所式が近付いた頃おれが、お馴染みの3校に行くとそれぞれの学童保育の子供達は「卒所式来てくれ」とか「卒所式の日は隣に座って」等と言って来たが、おれは在宅指導員だから誰か正規の指導員が欠席しない限り卒所式に参加する事は無い。

正規指導員が卒所する事は、先ず無いからおれの出番は無いと思っていい。


おれがその事を子供達に話すと子供達は、目に見えてしょんぼりしていた。


「別に卒所したって会えなくなる訳じゃないんだから元気出せ」とおれはいつに無く明るく言った。


とは言ったが、卒所すると滅多にOBが学童保育に近付く事は無かった。


5年生になった奴らには、それなりに新たな生活や付き合いがあるのだろう。


そして卒所式の日になった。



(48)に続く