天井と星空 | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

先日の体験見学会に来た見学者は、他の道場で八光流を習っていた男だった。


彼は、おれの弟子達と練習しおれの指導を受けてこれまで自分のやって来た八光流とおれの八光流とは違和感を感じたようで「まるで違う山に登っているようだ」と不思議そうに言った。


しかしその違和感が気に入ったのか彼はそのまま入門を決めた。


自分では意識していないが、おれの八光流は他の八光流の師範の技と何処かが違うようだ。


そう言えば本部道場へ師範技を修得する為に行った時もおれの技を見た本部の師範に「何処でどんな武道を習ってたか知らんが」と叱られた事がある。

おれは「エッ?八光流しかやってないですよ」と答えたが、その師範の事を随分妙な事を言う男だと思った。


おれの師匠は、おれの技を「野に放たれた八光流」と面白がって名付けていたが、案外このネーミングは的外れじゃ無かったのかも知れない。


おれの師範になるまでの練習は、全て夜間の野外練習だった。


暑さ寒さ 雨や風や雪等の気象状況と足場の悪さ 自然の中での練習は、辛い事が多かったがおれの性に合っていた。


そして夜間の野外練習が当たり前と感じるようになった頃おれは師範になった。



結局おれの技特有の違和感とは、練習に於いて技を掛けられ倒された時 畳に這いつくばって見上げたら天井があった者と ぬかるみや石ころだらけの地面に這いつくばって見上げたら星空があったおれとの違いなんだろう。


だからどうしたと言う話だが、武道の修行とは、その違いが技に反映する事もある。