叩打法の夜 (後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

背中を経絡の流れに添って下から上に軽く叩いて行く。

只それだけの事だが、おれはこの単純な技法が下手だと師匠は言う。


自分では、難無くこなしているつもりなので叩打法の練習だけで時間を費やすのは、時間の無駄に思えた。


ところが師匠は、おれの叩打法を「あんたのは叩打法と言うより柔術の当て身じゃ」とか「痛すぎじゃ どうしてあんたは何をやらせてもそう荒っぽいんじゃ」とか「ちょっと待て!殺気を込めるんじゃない」などと何度やっても駄目出しばかりだ。

そこで力を抜いて叩くと「何をやっとるんじゃ ぜんぜん力が伝わって来ん」とまた駄目出しだ。


おれは、この時程師匠の大きな背中に憎しみを覚えた事は無い。


どれだけ時間が経ったか分からないが、かなり疲れて力が入らなくなって来た。


気が付くと背中を叩く音が低く響くような音になったようだ。


「ええじゃろう その感覚を覚えておけ」

やっと師匠が言った時には、おれの腕は筋肉痛になり手は少し痺れていた。


時計を見たら午後10時だった。

おれは3時間も師匠の背中を叩いていた事になる。


おれは、八光流柔術で身に付けた力抜きの技術を治療に活かせて無かった事を痛感した。



あれから30年以上経った現在 今更ながら暴力みたいなおれの叩打法を3時間も受け続けた師匠のタフさに感心する。


いやタフと言うより師匠もおれの荒っぽい叩打法を必死に耐えてくれていたに違いない。


師匠は、弟子を誉めたり優しい言葉を掛ける事の無い男だった。


しかし 未熟な弟子の叩打法を3時間も受け続けると言うのは、師匠の弟子に対する優しさだったのかも知れない。