真逆のパーソナリティ | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

八光流は、一子相伝で引き継がれて行く。

それが、流派にとって良い事か悪い事かは分からない。

 

それとは何の関係も無い話だが、おれは父親から引き継ぎたくて引き継いだ物は、何も無い。


おれと父とは、見た目も性格も真逆で生き方や価値観もまるで違っていた。


父は、調子が良くて寂しがり屋で愛想が良くて周囲を明るくするムードを持っていた。

そして そんな父は、いつも集団行動をする習性があった。


その息子であるおれは、偏屈で協調性がなく何となく不機嫌で取っ付きが悪く人を寄せ付けないダークなムードを持っている。

おれは、集団行動が苦手で群れる事を嫌い単独行動が性に合っている。


おれ達親子は、真逆のパーソナリティを持っていた。


しかし おれは、父から一つこれだけは受け継いだと確信している物がある。


それは、手だ。

この手だけが女性の手と見紛う程に繊細で優しげで とてもじゃないが、柔術や指圧で飯を食ってる男の手には見えない。


父は、自分の手を女にモテる手だと自慢していたが、おれにしてみればこの手は全く自慢にならない。


この手がもっとゴツくて頑丈なら指圧の仕事による使い痛みに悩まされずに済むだろう。

柔術の技ももっと楽に掛ける事が出来る筈だ。


おれは、どうやらよりによって一番受け継がなくていい物を受け継いだようだ。


そして父と真逆のパーソナリティを持つおれが、 唯一受け継いだこの手この指をどう味方に着けるか?

それは、おれの八光流にとって永遠的な課題でもある。