黒犬伝 その9(後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

ルミ子と出会った翌年の秋 ルミ子に発情期の兆候があったのでアクとルミ子の散歩時間をずらせていた。

ところが、その日はルミ子の飼い主の勘違いでアクの散歩時間にルミ子が来ていた。


その公園に差し掛かったおれとアクの耳に恐怖に怯えたルミ子の声が聞こえた。


アクが物凄い力でおれを引きずるように走り出した。


ルミ子を怯えさせていたのは、巨大なマスチーフだと分かった。


マスチーフは、大型の洋犬で主に番犬として飼われているが性格は大人しい犬種だ。


マナーの悪い飼い主が、このマスチーフを公園で放しているところにルミ子とその飼い主が、鉢合せになったんだろう。


おれとアクが駆け付けた時ルミ子は、尻尾を下げ「キャンキャン」吠えて

マスチーフに抵抗していた。


発情期の雌犬が発する匂いが、このマスチーフを引き付けていた。


アクは「ガウゥーッ!」と低く唸って完全に戦闘態勢になっていた。


アクのこの殺気は、唯事じゃないと思ったおれは、アクを押さえ付けて馬乗りになった。


マスチーフがアクに気付いて身構えた時 アクを押さえ付けていたおれの体が不意に浮き上がった。


信じられない事に おれを乗せたままアクが走っている。

おれは試しに地面からおれの足を浮かせてみた。


それでもアクは、おれの重力を無視してマスチーフまであと3mの所まで一気に走った。


おれは再び地面に足を下ろしてブレーキを掛けながらマスチーフと飼い主に「早く逃げろ!」と大声で警告した。


マスチーフの飼い主は、人間を背中に乗せて走って来る化物を見て動けなくなっていたが、おれの声で我に返って自分の犬の首輪を掴んでその場を逃れた。


「アク落ち着け!もういい」とおれの言っているのを聞いて「これがアクか?この辺にそんな名前の黒い怪物みたいな犬がいると言う噂を聞いた事がある」とマスチーフの飼い主が独り言のように言った。


アクが、マスチーフの飼い主をギロッと睨んだ。


「こんな小柄な犬が人間を乗せて走るって そんなデタラメな事があるのか?」とマスチーフの飼い主は、自分の犬にリードを着けてると恐れを成して退散した。


ルミ子の飼い主は「凄いなぁ お前さん」とアクの頭を撫でるとルミ子を連れて公園をさって行った。


ルミ子は、アクと離れるのを嫌がって「クウゥ~ン」と鳴きながら仕方無く飼い主に従った。


アクは、黙ってルミ子を見送っていた。

おれは、そんなアクの姿を見て胸が痛んだ。

そして「辛いよなぁ」とアクに話しかけたが、アクは微動だにせずルミ子が振り向き振り向き去って行ったジャリ道を見詰めていた。



昔 悪い神が、熊に化けて人々を襲った。それを見兼ねた良い神が怒り犬に化けて熊を倒した。

北海道の先住民アイヌの神話にそんな話がある。