クッキング・ストーリー No.2(後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

その鍋料理は、鰻の柳川鍋だった。
普通 柳川鍋と言えば 泥鰌(ドジョウ)でやるもんだが、ここでは白焼きにした鰻を一口大に切ったのを笹掻き牛蒡と三つ葉の上に敷き詰め それを割り下で煮て仕上げに溶き卵で綴じてある。

これが信じられない事に 宗家先生は、あまり好きじゃないらしくアメリカ女性もちょっと苦手だと言う。

仕方ないので殆どおれが平らげた。

おれは、中居さんに頼んで ご飯と薬味用のネギと切り海苔と生卵を持って来てもらって 鍋の残り汁で雑炊を作った。
これが、また美味い。

宗家先生とアメリカ女性もこれは食べていた。

おれが、二膳目を食べ掛けた時 師匠が「遅くなりました」と入って来た。

事の顛末を宗家先生から聞いた師匠は「アホ!お前が食べてどうするんじゃ!」と激怒した。

「残ったら もったいないじゃないですか」とおれは、隣に居るアメリカ女性に同意を求めたが彼女は、下を向いて赤くなっていた。

「まあまあ 怒ってないで雑炊先生の分もありますぜ」とおれが師匠に雑炊を勧めたが「まったく仕様の無い奴じゃ」とまだご機嫌斜めだ。

そこで宗家先生が「ハッハッハ いいよいいよ 皆で食べた方が美味いって」と師匠を笑いながらなだめてくれた。

食後は、師匠が宗家先生に指圧する事になっていると聞いたので おれとアメリカ女性は、帰る事にした。

おれ達は、宗家先生と師匠に挨拶して旅館を出た。

アメリカ女性が、師匠の機嫌が悪かったのを気にしてしょんぼりしていた。
「さすがに宗家ともなると器が大きいよなぁ」とおれは、彼女を元気付けるように言った。

それにしても 京都の八光のNo.1とNo.2が、この有り様じゃ宗家先生もさぞかし呆れた事だろう。