黒犬伝 その6(後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

紀州犬は、姿勢を低くして走って来た。

おれは、迷わずアクのリードを外した。

アクは、黒い弾丸のように飛び出し おれの前方10メートル地点で紀州犬と激突した。

白い紀州犬と黒い北海道犬が絡み合いながらお互い上になり下になり猛烈な早さで闘っている。

おれは、ゴローのリードを外して「止めてくれ!」と頼んだ。

ゴローは急いで2匹を止めに行ったが危険過ぎて近付けず「ムリムリムリムリ」と困った顔で走って帰って来た。

今度はゴローの飼い主が「もう一度行って!」と頼むと再び走って行って また「ダメダメダメダメ」の顔で走って帰って来た。

紀州犬の飼い主は「うちの奴は、猪を咬み殺した事があるんやで」とおれに脅しを掛けて来た。

その時アクが地面スレスレまで身を沈めたかと思ったら斜め下から飛び付き紀州犬の喉頚に咬みついた。

そして恐るべき事にその勢いを使って垂直に近い20メートル位の急斜面を紀州犬諸とも転がり落ちて行った。

紀州犬の飼い主が「アァーッ!」と叫んだ直後「ギャーン!」と物凄い犬の悲鳴が聞こえた。

その場に居た全員 凍り付いたように動けなくなった。

我に返ったおれとゴローが斜面を覗きに行くとアクが駆け上がって来た。
下を見ると紀州犬が片方の後ろ脚を引きずって歩いているのが見えた。

紀州犬の飼い主が「上がって来い!」と命令したがダメージが酷いようで紀州犬は伏せた状態になり動けなくなった。

「助けに行けよ!」とおれが言うと紀州犬の飼い主は「滅茶苦茶しやがって」とアクを恨めしそうに睨んでから斜面の下に降りる道を探して姿を消した。

上がって来たアクは、さすがに息が荒かったが 心配そうにゴローが傍に行くと普段無表情なアクが少しだけ笑ったように見えた。

「お前って奴は」とおれは、呆れて呟いた。


昔 悪い神が、熊に化けて人々を襲った。それを見兼ねた良い神が怒り犬に化けて熊を倒した。
北海道の先住民アイヌの神話にそんな話がある。