押し寄せる「高崎」vol.3、番外編 | アリスのStone Partyのあとで

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イラスト Keiko Nakabachi
※イラスト、画像の無断使用は堅くお断りさせて頂きます。

書いても書いても
まだ足りず
じっと手を見る
そんな今回の高崎
書きながら随分けずっていますが
一回一回長い(--;)
お付き合い頂けたら幸いでございます

前回、高崎神社、高崎城址、龍廣寺
について書きました

今回は番外編的なものと
次のテーマになるような
番外編と不思議な出来事とについて
書きます


車で高崎入りしたものの
お城城下を感じたくて
実は高崎城址から龍廣寺まで歩き
そのまま出生地である病院
本丸があったであろう裁判所など
もゆっくりひとりになって回ってきました


音楽センターやホールのある場所にあった
電話ボックス
かなり遠くからでも目立つのですが
これが電話ボックスと気づくのは
近づいて中を覗いて見た後(^^;
高崎城のすぐ近くでした
そのまま龍廣寺まで歩いてお参りして
猛烈に暑くて
車の中に水筒を置いてきたこと
後悔しました
ダメです、水分は喉が乾く前に補給!
(↑自分に言い聞かせる)
そして涼し気な公園に出ます
高崎公園
暑いからか、ほとんど人もいなくて
噴水がマイナスイオンを
放ってくれていました
ここに差し掛かりとてもホッとしたのを
覚えています
この公園を突っ切ると病院があるはず
と気力で病院の方へ向かいます
なんだか立派になってしまってびっくり
小学生の頃祖母のお見舞いで
来たことがあって
「ここで産まれたんだ」
と思ったことを思い出します

そのまま病院の敷地を突っ切り
裁判所をぐるりと回り
車の停めてある駐車場に戻りました
2時間程度でしょうか
どのくらい歩いたのかなーと
万歩計アプリを見ると
あれ?歩いたことになってない...
歩いた道を地図で示してくれるのですが
車で移動した所しか表示されていません
なんで?どうして??
まぁそういうこともあるよね
この時はそういうことにしました


そしてお昼
行こうとしていたお店
年中無休なのに休み
なんで?どうして??
まぁ、コロナの影響かもね飲食店だし
ということにしました
代わりに、神田ポンチ軒高崎店
東京・神田のとんかつのお店
ヒレカツ定食
肉?と思うほどのやわらかいヒレ
とっても美味しかったです!!

そしてデザートは
息子が誘ってくれた理由でもある
スタバの47JIMOTOフラペチーノ
群馬の「だんべぇヨーグルトマンゴー」
息子はこれが目的(笑)
息子が私を誘ったのには
こういう裏があるわけですが
それもこれもお導きということにします

こんなの美味しくないわけが無い
「だんべぇ」って何?と息子に聞かれました
語尾に「〜だんべぇ」と
群馬ではつけたりします
「〜だよねー」とか「〜だろー」みたいな?
これにはあまり意味がない気がします
でも、この「だんべぇ」は
母方の祖父や叔父が使っていて
なんとなく懐かしいですね
あとは「〜なん?」「そうなん?」
というのよく耳にします
こっちの方が誰でも使っているイメージ
だから、「ヨーグルトマンゴーなん?」
でもよかったのでは???(爆)
ちょっと話が逸れました(^^;


さて前回触れた、高崎城内で
江戸幕府三代将軍、徳川家光の弟
徳川忠長が自害したということ
今回調べていくうちに知った訳ですが
これを知った時に
忠長の墓が今もなお
高崎にあるということを知りました
「これは行っておいた方がいいだろうな」
ということで
高崎城下にある大信寺に伺いました
HPには事前に連絡の上拝観下さい
とのことでしたので 
事前に電話で連絡をしてからのお参りです
敷地内に幼稚園もある
活気のあるお寺さんです
お墓を写すのにはちょっとなので
こちらの案内板を〜

忠長は家光ともに、
二代将軍徳川秀忠と
織田信長の姪である、江との子供です
家光は乳母に育てられました
後の春日局です
忠長は江の手により育てられました
なんでもそつなくこなす忠長
それに対し、家光は病弱で引っ込み思案
そんな忠長を秀忠も江も溺愛するので
次期将軍は忠長なのでは?と噂が出ました
それをよしとしなかったのが徳川家康
家光と忠長をかなり差別し
家光を可愛がったようです
江と春日局との対立なども
こういったことからと言われたりしますが

溺愛されて育った忠長は
元服した後、駿河を与えられますが
欲深で、かなりの奇行が目立ち
家光を怒らせてしまい
高崎城に幽閉されてしまいます
やがて切腹とされ
自害に追い込まれました
享年28歳でした
特に、江が亡くなってからの忠長は
生活が荒み、酒に溺れるなどみられ
また秀忠が亡なる時にも
会うことは許されなかったと
言われています
世継問題の犠牲になった
そういう印象も受けます

そんなことを思いながら帰路の車の中
考えており
そのうちに増上寺の秀忠と江にも
お参りに行こうなんて考えておりました
ふと、横を通るトラックに目をやると
「国松運輸」
.......!!!!!
ずっと元服後の名前で書いてきましたが
家光の幼名は竹千代(家康と同じ幼名)
忠長の幼名は国松
驚きました.....
翌々日バスに乗り、横に目をやると
とある国松さんの広告が...
国松さんて、かなり多いですか?
びっくりです
こうしてまた国松を感じ
日々を過ごしています
増上寺ね、はい

この時、驚いたのもあったのですが
なんとなく妙に納得したのは
忠長ではなく、国松だったこと
私の中で「そうだよねー
やっぱり国松だよねー」と凄く思いました
何故?と聞かれると困るんですけど
忠長で出てこなかったことに
納得してしまった私でもありました


帰路につく前に、私の大好物
焼きまんじゅうを買って帰ろうと
評判の店を検索し
そこに向かってもらいました

そちらに行って
お土産用の焼きまんじゅうを
焼いてもらっていると
お話し好きなおじさんが
いろいろ話してくれます
「おねえさん、ピアスの穴空いてる?」
私は咄嗟にこれは私が
ピアス売ってる人だと言わない方が
よさそうだと感じ
でもがめついのか?
そんなやり取りを心の中でやりつつ
それは伏せることにして
「はい、空いてます」というと
「そこにピアスあるから
気に入ったのあればももっていきなー」と
いくつかありましたが
目に飛び込んだのはこれ
赤備えピアス
戴きてきました
そしてしきりに
「味が気に入ったらまた来てね」
と言っておられました
目が不自由で、どことなく容姿も
父に似ていて不思議でした

また高崎にも来るように
そして親を大切に
そんな直政からの
メッセージかなと思いました


そそ、前回の投稿で
「出てくる」について記述しましたが
肝心なことを忘れておりました

こういった話を全くしない間柄の方や
見ず知らずの方とたまたま
会話することがあったりした時に
井伊の話が出てくることがあります
こうなるともう観念と言いますか
腹を括る場面になりますね
今回は高崎の話がとある方からあり
それで昨年コロナ収束を見計らって
行こうと思いました


偶然は必然
よく言われたりしますが
今回も起こるべくして起こり
会うべくして会い
見るべくして見て
聞くべくして聞いて
そして
生かされていることの意味
そんなことを感じ、その思考も
私の一部となった気が致します


長々3回に渡りお付き合い下さいまして
ありがとうございました
次からはメッセージ、つぶやき、ストーン
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