第4章 目指すべきもの 10. カーニバルを考える | 実録!博多ディスコ物語

実録!博多ディスコ物語

1976年からD.J.をしてるD.J.萩原誠(当時D.J.Sam)が体験談と取材やインタビューをお届けします。
(敬称略愛称で、どうぞお許しください)

3月15日にオープンしたばかりの店

カーニバルが

3月17日にはカルチェラタンになる

と言う嘘のような話

どう考えても

普通ありえないですよね

 

当時は

自分の事でいっぱいでしたが

今思い直してみると

不思議な事がいっぱい

カーニバルって

本当に3月15日に

オープンしたの?

オープンして営業してたの?

営業してる所を

見ていないので

誰か行ったよ!って方が

いらっしゃったら

教えてください

 

カーニバルは

元キャバレーだった店を

そのまま使った店です

 

キャバレーが分からない人の為に

説明すると

キャバレーはホステスさんが

テーブルについて

接客するお店で

接客の一環として

お客さんと踊ったりします

踊りはブルース、マンボ、

チャチャ、ジルバ等の

パーティーダンスで

その為に

バンド演奏が入ります

 

店の作りとしては

中央一番奥に

バンドステージがあり

その前にはダンスホールがあって

そのダンスホールを囲む様に

扇形や放射線状に客席が配置されて

200〜300席ぐらいあります

 

ですから当時

キャバレーが流行らなくなり

ディスコに切り替える所が

多かったんで、カーニバルも

そう言った流れで

ディスコになったんだと思います

 

にしてもですよ

カーニバルは

ダンスフロアに照明を入れただけで

店内の内装や椅子テーブル

はキャバレーのまま

DJブースはダンスフロアーの脇に

長机を置いて

その上に機材を並べた感じでした

しかも

粗末な音響機材だったんです

以前ご紹介しましたが

カルチェラタンは音響に

お金をかけてて

良い音じゃないとお客さんは分かる

と言っていた社長なのに…

 

だから

最初に連れて行かれた時に

「準備中?」

と思ったぐらいでした

前回ご紹介した

チラシやマッチも

僕は同じ会社の人間ですから

持ってますが

あのチラシは本当に

外に向けて配ったんでしょうか?

さらに解せないのは

あのチラシとマッチは

違うテイストのモノが

2種類あるって事です

黒バックのパンチの効いた物と

ベージュのシックな感じ

これはまるで印刷屋さんに

デザインを提案させて

何方のテイストにするか

見本を

作らせたような感じなんです

 

当時の山一の社長は

抜け目ない人なので

本当にオープンで大々的に

宣伝していたら

このチラシやマッチは

大量に不要となり

もったいない事になりますよね

あの社長が

そんなもったいない事を

平気でするでしょうか?

 

また、当時の噂ですが

山一は負債を抱えて

建物が銀行の抵当に入っている

と言う事でした

ですから

伸びる見込みの無い

しかも掛け売りやバンスの多い

キャバレーを辞めて

現金商売の

ディスコにしたいけど

改装にも宣伝にも

お金をかけられない

だから

とりあえずオープンして

営業していれば

その内にお金が

回る様になるんじゃないか?!

って感じ

じゃなかったのかな〜?

そこに都合良くと言うか

カルチェラタンが

隣のビルの火事で

営業不能になった

その際に1年間営業して

名前の知られた

カルチェラタンの方が

集客が見込めるし

スタッフも充実している

で、カーニバルが

カルチェラタンになった

こう分析しています

これだと辻褄が合うんですよね〜

 

この事で割を食ったのが

DJのマー坊

久保山正弘

 

この後5月ごろから

マー坊はVOナイトパレスで

DJをする様になります

DJはもう一人いたと思うんですが

僕は全然知らないんですよね

 

このお金をかけずに作った

カーニバル改めカルチェラタン

一カ所だけ

凄くお金をかけた所が

あったんです

それはダンスフロアの照明

壁と床に

3色のネオン管が入った

それまで福岡に

全く存在しなかった

キレイな照明

そう!79年の

年末に僕が夢で見た

あの照明の店が

カルチェラタン

になったんです

 

この夢の話は

第3章36ミッシング

の最後に出てきます

 

キャバレーの紹介の所で出てきた

掛け売りとバンスですが

60年代70年代中洲の

クラブやキャバレーは

会社の接待等で利用される事が多く

社用族って言葉が産まれるほどでした

特に福岡は支店の街として栄えて来たので

本社からの出張も多く

そう言う会社関係の利用者が多かったので

飲食代は掛け売りが殆どでした

この集金がホステスの仕事だったのですが

上手く集金出来ずに焦げ付くと

ホステスが自腹で払う事になり

それがバンス(前借り)と言う形になるんです

バンスはその他にも或るお店で

売り掛けが増えると店を変わる事で

準備金としてバンスする場合もあり

また、ヒモがいるホステスもいて

男の為にバンスをする場合もあり

バンスが膨らみすぎて

他所の土地に夜逃げをする何て事もあり

店としては何にしてもお金がかかるし

この80年頃になると接待交際費が認められなくなり

対会社と言う商売のやり方が

時代に合わなくなってきました

その為に、この後、若い男性個人をターゲットにした

時間制等の明朗会計の現金商売、ピンクサロンや

キャバクラ等に移行して行きます

こう言う店が増えて

客引きやぼったくりの店等が出て来て

80年代中洲の雰囲気が悪くなって行くんですよね

 

 

 

僕は他にもブログを書いています

読んでみてください

何を口に入れるかで人生が変わる

D.J.HagiwaraのGroovePower

Truthbssの若返り大作戦

「博多のおいしゃん」やけんね

 

よろしくお願いします