『人材エージェント』 本音で話します!? -54ページ目

僕の母は元祖ワーキングマザーでした・・・

こんなこと書くつもりぜんぜんなかったんですけど、
ちょっとした出来事があったので、今日は
うちの母のことを書きますね。


うちの母は、大した学歴がありません。


地方出身で、大学受験のときに東京の大学を
受けたいと祖父に言ったら


「女はいい嫁、いい母になればいいんだ」


といわれ、
地元の短大に泣く泣く入学したそうです。


でも、そんな気持ちで入ったおかげで、中退。


うー、うちの母は短大中退なんです。


正確には文化服装学院卒らしいんですけどね。


そのことをうちの母は、以降の人生でずっと
コンプレックスに思っていたみたいです。


結婚して上京し、雑誌の編集の仕事を始めました。

そんなときに、僕が生まれちゃったんです。


母はもっと仕事がしたかったのでしょう。
僕が1歳にならないうちに、また働き始めました。


そんなわけで僕はとなりの家に預けられる毎日・・・


4歳にしてかぎっ子でした。


幼稚園に入った頃から、半分以上家で仕事を
するようにはなったものの(今でいうSOHOですね)、
編集の仕事は締め切りに追われる毎日。


幼稚園のとき、母が遠足についてきてくれたのは
たった1回しかありませんでした。
そのときのことは、今でも忘れません。
(イモ堀りでした!)


小学校に入っても彼女は仕事を続けていたので、
いつも自分で朝ごはんを作ってました。
(てゆーか、目玉焼きとトーストだけですけどね)


母は、アメリカに憧れを抱いてました。
だから大学も英文科に行きたかったみたいです。
なのに、家政科に行かされて・・・


僕が小学校1年のころから、NHKラジオを
毎日聴きながら夕食の支度をするのが
日課になっていました。


「基礎英語」、
「続基礎英語」、
「英語会話」
の3本立て。


キッチンのシンクの上に洗濯ばさみでテキストを
開きつつ、毎日料理をしていました。


2年ぐらい経つと、近所の外国人とはカタコトで
話をするようになっていました。


そして、僕が小学6年のとき、なんと
英語の先生になっちまいました。


以来何年だ?
うーんと、37ひく12だから・・・
25年!


今も英語の教師を続けています。

ちなみに母は63歳。


我が母ながら、僕は彼女を尊敬しています。


こんなに努力家の母から生まれたのが、
こんなにのーてんきな僕だと思うと
情けないですねー。


なんでこんなことを書いたかというと・・・


それは、次回ということで。