レッスルマニアに備えよう | ジェリコの壁のブログ

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おばんです。
プロレスバカです。


シンスケ・ナカムラのレッスルマニア出場を記念して、レッスルマニアの歴史を振り返ってみましょう。

祭典と呼ばれるニューヨークの団体の最大のイベント。

今年はレッスルマニア34です。
もう34回目を迎える歴史ある大会です。

第1回大会は1985年ですか。
俺は完全な小学生でしたね(笑)


記念すべき第1回レッスルマニア。
このロゴがもう歴史を感じさせます。

第1回大会は、
ハルク・ホーガン&ミスターTvsロディ・パイパー&ポール・オンドーフ
ボブ・オートンとかジミー・スヌーカとか乱入しまくりでバタバタの試合でした。

やっぱりレッスルマニア創成期はホーガンのための大会というイメージでしょう。


1986年のレッスルマニア2

ハルク・ホーガンvsキングコング・バンディの金網戦でした。
1986年と言えば?
初代ファミスタが出た年です。

そりゃ小学生はファミスタやってますよね(笑)

ホーガンがギロチンドロップから金網エスケープで勝利しています。


レッスルマニア3

伝説のハルク・ホーガンvsアンドレ・ザ・ジャイアント

この両者が対峙するシーンが印象的です。

当時はアンドレをボディスラムすることがステータスみたいになってました。

その後もアンドレは信頼できるレスラーにしかボディスラムを許さなかったとか?

プロレス史上、アンドレをボディスラムしたレスラー、何人言えますか?(笑)

ネットで検索してみてくだされ(笑)


レッスルマニア4

初めてホーガンが主役を譲った回。

主役はこの人、マッチョマン・ランディ・サベージです。オーイェー!

この大会のレンタルビデオを中学生の頃に借りて見たのが、俺の初レッスルマニアです。

WWF王座決定ワンナイトトーナメントが行われ、サベージが、

ブッチ・リード、グレッグ・バレンタイン、ワンマン・ギャングを破り、

決勝でテッド・デビアスと対戦。

サベージの入場曲、威風堂々が感動的で、
ダイビングエルボーがとてもかっこよくて、
素晴らしいトーナメントでした。

サベージの王座戴冠をホーガンも祝福しました。
サベージとエリザベス。感動の名場面です。合掌。


レッスルマニア5

ランディ・サベージvsハルク・ホーガン

サベージ戴冠から1年経ってヒールとなり、
ホーガンがそのベルトに挑戦。

ランディ・サベージはその後マッチョマンからマッチョキングへ。ニューヨークのトップヒールとなって行きます。

しかし、試合はホーガンがギロチンドロップで勝利。見事に王座返り咲きを果たしました。


レッスルマニア6

1990年。
ここからリアルタイムで俺は追いつきます(笑)

中学生になった俺はプロレスバカが本格的に開花します(笑)

我が人生初の後楽園ホール!
全日本プロレスのチャンピオンカーニバルの後楽園ホール大会に観戦に行き、日米レスリングサミットのチケットを手に入れます。
前売り券は結構余ってました(笑)


その日米レスリングサミットの直前に行われたのがこのレッスルマニア6です。

初めてアメリカを離れてカナダ・トロントで行われた大会でした。

WWF王座とインターコンチ王座の統一戦。
ハルク・ホーガンvsアルティメット・ウォリアー

やっぱりニューヨークと言えば、この引きの画がゾクゾクするのです。

そして、
当時は週プロやゴングの表紙で知ったのですが

まさか!レッスルマニア6でホーガン破れる!新王者はアルティメット・ウォリアー!

という、衝撃のニュースが日本に舞い込んで来たのです。

これで、ホーガンは丸腰で日米レスリングサミットに来ることに。

対戦カードもハルク・ホーガンvsテリー・ゴディのWWF戦が組まれてましたが、直前でハルク・ホーガンvsスタン・ハンセンのノンタイトル戦に変更されました。

そりゃそうだ。
日米レスリングサミットでホーガンのノンタイトル戦が発表されてたら、レッスルマニア6でベルト落とすってネタバレしますもんね…(笑)


そして感動のエンディング。
ホーガンがアルティメット・ウォリアーにベルトを手渡しました。
次の世代、次のスターへのバトンタッチでした。

ウォリアーとホーガンは抱き合いました。
大変感動しました。

ちなみにアルティメット・ウォリアーは直後の日米レスリングサミットで初来日。テッド・デビアス相手に防衛戦を行い、きっちり王座防衛。

初来日で日本のファンに強烈なインパクトを残してくれました。
プロレスは上手くなくて雑だったけど、とても絵になるかっこいいスーパースターでした。合掌。


レッスルマニア7

ホーガンが徐々に第一線から退きつつある傾向にあったり、でもウォリアーがイマイチ不人気王者だったり、

湾岸戦争などから、ホーガンvsスローターとかちょっと迷走してた時期のような気がしないでもないが…

アルティメット・ウォリアーvsランディ・サベージ

サベージのマネージャーはシェリー・マーテルだったが、この試合でウォリアーに敗れたサベージをシェリーが見放す。

するとエリザベスが戻ってきてサベージとよりを戻す感動の再会がありました。


しかし、サベージ、ウォリアー、シェリー、エリザベス、みなさん若くして亡くなられてる…

合掌


アルティメット・ウォリアーとロードウォリアーズのトリプルウォリアーは好きだったなぁ。

と、そんな感じで初期の頃のレッスルマニアをいくつか振り返りました。

なんか子供の頃に戻って、ワクワクできるプロレスなのです。

やっぱり単純にみんなかっこいいな!という憧れからプロレスバカは始まってるんですな。

特にニューヨークのスーパースター達は華やかで眩しくて。


中邑さんがこの舞台に上がる!ってのも改めてすげぇなと。


またレッスルマニア振り返ってみようと思います。


♯OUTTA NOWHERE!!