開幕戦でマクラーレンが早くも黒星。優勝はフェラーリ・マンセル(1989年・ブラジルGP) | 日日不穏日記・アメブロ版

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 1988年を以て、ターボエンジンの時代は終わりを告げた。セナ・プロストという最強ドライバーの組み合わせだからこそ達成できた16戦15勝という結果ではあったものの、他チームに対して、1~2秒速いという圧倒的なアドバンテージは、89年には失われる。

 マクラーレン・ホンダは、3.5LV10エンジンを搭載する新車MP4/5の開発に懸命に取り組んでいた。

 マクラーレンというチームを支配してきたプロストと、ホンダエンジンと共に移籍してきたセナ。激しく争った88年も一触即発の場面はあった。ただ、概ね両者の争いはフェアに行われ、鈴鹿でタイトルは決まった。最終戦は、プロストが制し、オフシーズンを迎えた。しかし・・・。

 両者の反目はオフシーズンから始まっていた。両者と言うより、セナの“行為”に対して、プロストが一方的に怒りを募らせていたのだが。

 膨大なテストをこなすプロスト。オフシーズンは、たっぷり家族との時間にあてるセナ。『セナVSプロスト』では、当然ながら、プロスト自身の回想が中心となっているから、プロストの一方的な批判になっている。



 確かに、セナが批判されるのも仕方がないのだけれども、そこは、仕事に対する“オン・オフ”の違い。レースとなれば、それに全てを捧げるセナとの人生観の違いも考慮すべきではないかと思ったりもする。

 レースに関しては、以前一度書いたので省略。セナは、スタートに失敗し、フェラーリのベルガーと接触、フロントノーズを破損してピットイン。2周遅れの11位、プロストは、ギアボックストラブルを抱え、ベルガーの盟友となったマンセルの駆るフェラーリに2度抜かれるという屈辱にまみれて2位に終わる。

 NA元年は、予想もしなかった波乱の幕開けでスタートする。

 ただ、勝者マンセルのフェラーリ640は、ジョン・バーナードによるセミ・オートマ搭載という革新的なマシンではあったものの、優勝したマンセルの走りも安定感を欠き、前途多難さを感じさせた。そして、その危惧は、続くサンマリノGPで現実のものとなる。