20年の歳月を経て、デヴューしたベルギーを走るシューマッハ。デヴューはジョーダン・フォード。チームメイトのチェザリスを抑えて、7番手を確保した衝撃ってのは、今でも鮮明だ。レースでは半周も走れないまま、クラッチを壊してリタイアするが、もし、そのまま走れていたら、どうなっていただろうか。
チェザリスがセナに迫ったことを考えれば、デヴュー戦でバトルを演じていたかもしれない・・・そんな無限の可能性を抱かせるだけの“オーラ”が、シューマッハにはあった。
<1991年、ベルギーGP>
シューマッハが、1戦のみで、モレノを押し出す形でベネトンに移籍。このことが結果的にピケをチーム離脱、最終的にはF1引退に追いやることになるのだが、予選では、ピケに勝り、レースでもそん色のない結果を早くも出していた。セナファンの僕には、最初から、シューマッハが脅威に映っていたことは確かだ。
さて、2011年。“今年度限りのチーム離脱”の噂が飛び交う中、シューマッハはスパに帰ってきた。噂の真偽はよくわからない。ただ、シューマッハが、チームメイトのニコの速さを率直に認める発言などを聞くにつけ、昔の尖っていたイメージから見れば、ずいぶん変わったもんだ・・・って思ったのも事実だけれども。
<2011年、ベルギーGP>
金曜のフリー走行の序盤でトップに立ったシューマッハも、予選のQ3でウエット路面でスピン、ウォールに激突、最終的には右リアタイアが外れて、グラベルに乗り上げてストップ。タイムアタックが出来ないまま、ノータイムに終わった。
一方、ロズベルグは5番手。ニック・ハイドフェルドに変わって、ルノーのシートに座ったブルーノ・セナが7番手。かつて、シューマッハが座ったポジションにブルーノが座ったのも何かの因縁だろうか。
PPは、指定席のベッテル。20周年のメモリアルGPをシューマッハは最後尾からスタートする。