ナンバー2ドライバーについて(ルーベンス・バリチェロの場合) | 日日不穏日記・アメブロ版

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 前回、“ベスト・セカンド”がアーバインだって趣旨のことを書いた。ただ、アーバインがパトレーゼやバリチェロと比べて、ドライバーとして優れているという意味ではなく、その時にチームに求められることを、忠実にこなした“仕事師”だったというニュアンスで書いたつもり。

 アーバインよりも2年長くシューマッハのパートナーを務めたバリチェロは、デヴュー2年目は、ジョーダン・ハートでアーバインとチームメイト。ベルギーGPでは、シューマッハ、ヒルを抑えて、当時、史上最年少のPPを獲得している(アーバインは4位)。

<1994年、ベルギーGP予選。バリチェロPP獲得>



 2000年にフェラーリに移籍するまで、ジョーダン、スチュワートという中堅チームで、実力を認められながらも、優勝を争えるポジションとは無縁であったから、アーバインとは違って、下積みの期間が極めて長い。

 さらにバリチェロが在籍した6年間は最後の2005年を除き、フェラーリの最盛期。シューマッハの5年連続チャンピオンの真っ最中。ありとあらゆる記録を更新していた時代である。

<2001年オーストリアGP>



 チーム一丸となって、シューマッハをサポートしなければ、ウィリアムズ、マクラーレンに対抗できなかったアーバインのいた時代とは違う。やっと巡ってきた機会に、ナンバーワン待遇で、シューマッハと正面からバトルをしたいという気持ちは、確かにわかる。

 その点、アーバインと違って、割りきれなかったのかもしれない。仮にこの時期、アーバインがシューマッハと組んでいたら、どうなっていただろうか?両者の関係は違ったものになっていたかもしれない。

<2002年オーストリアGP>



 バリチェロは、フェラーリ在籍中に9勝を挙げるが、シューマッハとの関係でのチームオーダーが問題になったことは、周知の事実。2001年にはクルサードとのポイント争いで、シューマッハを優位に立たせるために2位を譲り、翌2002年の同じオーストリアGPでは、チェッカー目前で勝利を譲って、ついには翌2003年から、チームオーダーが禁止されるに至る(当時チーム監督だったジャン・トッドがチームオーダー禁止を2011年から廃止する決定を下したFIAの会長の立場に現在いるというのも何とも皮肉である)。

 “シューマッハの飼い犬”を揶揄されながらも、6年間もパートナーを勤め上げたバリチェロ。契約上の問題はあったにせよ、シューマッハはチームメイトに恵まれたものだとつくづく思う。