先日紹介したブリヂストンの浜島さんの近刊『F1 戦略の方程式』(角川ONEテーマ21)にセカンドドライバーに関して、こんな記述があり、目を引いた。
「F1史に残るような名だたるセカンドドライバーというか、つまりはベストなサポート役は、私が見た中では、フェラーリに所属していたエディ・アーバインです。ミハエルを補佐し、ナンバー2の役割を完璧に遂行し、絶対に文句を言いませんでした」(P.98)
浜島さんが関わった時代は、シューマッハの全盛時代とほぼ被ってるわけで、この発言には信憑性がある。一方、アーバインよりも長く6年間パートナーを務めたバリチェロに関しては、「なぜ僕が2番手なんだ」と実際口に出した・・・としたうえで、「ミハエルが飛びぬけて強かったので、ルーベンスが迫ることは滅多にありませんでした」とし、セカンドに甘んじたくなければ、よほど自分の力を見せつけなければ無理・・・と断言。
バリチェロに関しては次回書くとして、アーバインは、自分の待遇に不満を抱きながらも、4年間(実際には、99年にシューマッハがクラッシュで離脱してるので、その時期を除くと3シーズン半)、プロに徹して、シューマッハのサポートに専念。
バリチェロの時代と違い、アーバインのいた4年間は、フェラーリが、ウィリアムズやマクラーレンにタイトルを阻止された時代。その中で、96年を除き、シューマッハがヴィルヌーブ、ハッキネンとタイトル争いが出来たのは、アーバインのサポートによるところが大きい。
特に97年の日本GPでの“汚れ役”は、あまりに有名だし、あのレースのMVPは、優勝したシューマッハではなく、3位に甘んじたアーバインと言っていいだろう。
あの毒舌のパーソナリティで、よくもまぁ、シューマッハのパートナーを長年務められたものだと感心するけれども、その“プロ意識”を浜島さんは認めているのだと思う。
セカンドドライバーには、①トップを脅かす力を持ちながら、最終的にはチームのためのサポートに徹する②自分の置かれてる状況を理解し、サポートに徹する③ただのセカンドドライバー・・・の3つのタイプがあると思う。
91年のパトレーゼは①、92年は②になり、最後の93年はシューマッハの前に③になってしまった、と僕は思っている。アーバインは②のベスト、バリチェロは、理解度が劣る分、②マイナスってところだろうか。