親友のために“レースを捨てた男”デビッド・パーレイ | 日日不穏日記・アメブロ版

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 ハンガリーGPでのハイドフェルドのマシンが炎に包まれるのを見て、ベルガーのタンブレロ炎上事故や、フェルスタッペンの給油時のトラブルでベネトンピットが大混乱になったことを思い出したファンもいるかもしれない。ハイドフェルドの事故の場合は、マシンのオーバーヒートで、ピットアウト直後にマシンを停められたから、大事には至らなかったし、ハイドフェルド自身「僕のスーツはマシンに乗る前から黒かった!」などと言ってるとも聞く。

 94年のサンマリノ以降、17年間F1ドライバーの死亡事故は起きていないから、緊張感が緩んでいるんじゃないかって、僕はそのジョークを全然笑えなかった。責任の所在がチームなのか、ドライバーなのか、ちゃんとはっきりさせておくべきだと僕は思う。

 F1の歴史を遡るほど、GPドライバーの事故は頻繁に起きている。1973年のフランソワ・セベールの予選での事故死とジャッキースチュワートの失意の引退があったこの年のオランダGPでのロジャー・ウィリアムソンの事故死の動画を見たけれども、これは衝撃的だ。



 タイヤトラブルでマシンがコースアウト、ガードレールにぶつかって、土手まで乗り上げて、コースに転落して横転、火災が発生しながら、ウィリアムソンのマシンは高速で走り続け、ようやく止まった時には手のつけられない状態。

 親友のデビッド・パーレイがマシンを停め、駆け寄り、すぐに消化し、助けようとするが果たせず、ウィリアムソンは焼死する。親友を助けられずに、よろよろと現場から離れていくパーレイの姿が痛々しい。現在とレースの安全に対する考え方が違う時代だったとは言え、あまりに理不尽だという気がする。

 4年後のイギリスGPにパーレイは、ウィキによれば、「F1史上最も激しい」というクラッシュに遭い「両腕両足を粉砕骨折、頸部も骨折させ内臓も破裂、そして心臓はすでに停止している状態」ながら、一命を取り留める。当然、F1キャリアには終止符を打つことになったのだが、79年に元気にインタヴューに答えている映像が残っている(その後、パーレイは、85年にエアアクロバットの曲技飛行中に事故死)。

 F1の歴史は事故の歴史でもある。過去に比べて安全性が格段に向上したのは、技術革新と過去のドライバーの尊い犠牲あってのものだ。ルノーの事故を見て、それを改めて思い出した次第。