ジャン・アレジ、F192戦目で最初の最後の優勝(1995年カナダGP) | 日日不穏日記・アメブロ版

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 未来のチャンピオン候補・・・人気もあった、速かった、トップチームにいた。それにも関わらず、生涯に一回しか優勝できなかったドライバーと言えば、ジャン・アレジだ。

 89年デヴュー。90年開幕戦のフェニックス(アメリカGP)でセナと激しいバトルを演じて、一躍注目を浴び、翌年、ティレルから、フェラーリに移籍。チームメイトは、アラン・プロスト。関係は良好、オフシーズンテストも好調が伝えられ、開幕を迎えたはずが、状況は一転。

 ここが不運の始まりだった。アレジには、ウィリアムズと仮契約したものの、結果的にフェラーリが、その契約を買い取る形でフェラーリのシートに座った。91年シーズンのベストマシンはウィリアムズ。フェラーリは、レギュレーションの変更に対応できず、低迷を続け、お決まりの内紛。

 監督のチェザーレは離脱、プロストもシーズン中に解雇。タイトルを争うどころではなく、アレジは3回の表彰台を獲得するも、まったく生彩を欠く。



 ここがアレジの運命の分かれ道だったと思う。ここでウィリアムズで走っていれば、優勝はもちろん、タイトルも十分狙えただろう。が、逆に逆境に苦しむフェラーリの中で、アグレッシブは走りを続けたことで、ティフォシの熱狂的な支援を得る。

 94年、ドイツGPでフェラーリに久々の優勝をプレゼントした同僚ベルガーをティフォシの一人として祝福したアレジは、翌年のカナダGPでジル・ヴィルヌーヴの名を冠したサーキットでティエリー・ブーツェンの96戦に次ぐ、92戦目で遅まきの優勝を飾る。コース上でストップしたアレジをシューマッハがマシンに乗せ、逆の立場になったベルガーが、その優勝を心から喜んだ。



 現在のF1で最も遅い優勝は、マーク・ウェバーの132戦目、続くのがルーベンス・バリチェロの125戦目だ。ただ、この2人とアレジが違うのは、いずれもレットブル、フェラーリという、“その時代”の最強マシンに乗っているということだ。

 アレジは、フェラーリ、ベネトンというトップチームに長く在籍したものの、マシンパフォーマンスは、当時の最強だったウィリアムズやシューマッハ時代のベネトンに劣り、良い走りをしても、結局、表彰台のトップには二度と届かなかった。

 ウェバー、バリチェロは、立場の違いは多少あっても、基本的にはセカンドドライバーであることを義務付けられた存在と言って良い。すでにアレジをはるかに上回るものを残してるこの2人よりも、ティフォシの大声援を受けて走ったアレジの方が、ドライバー冥利に尽きる・・・カナダでのウイニングランや表彰台を見ると、つい、そう思ってしまう。