12年の歳月を経て、シューマッハ、サンマリノで歴代最多PP獲得(2006年) | 日日不穏日記・アメブロ版

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 F1史上のあらゆる記録を塗り替えてきた“皇帝”ミハエル・シューマッハ。7度の世界王者、通算91勝、1369ポイント、年間13勝・・・他にも数え切れないほどの偉業を成し遂げてきたシューマッハに最後に残された記録が、セナのPP65回。

 あれほど、他を圧倒する記録を打ち立ててきたシューマッハもPPだけは、なかなか記録を更新することが出来なかった。2005年、それまで5年連続で制してきた世界選手権をフェルナンド・アロンソに譲ることになっただけでなく、タイトル争いをしたのは、自身ではなく、キミ・ライコネン。

 あれほどの強さを誇ったシューマッハにさえ、<落日>が囁かれ、迎えた2006年サンマリノGP。

 開幕戦のバーレーンGPでセナのPP65に並んだものの、ポイントもアロンソがリード。苦しい状況の中、12年の歳月を経て、イモラで遂にセナの記録を抜く66回目のPPを獲得する。



 シューマッハが更新できなかった最後の記録を遂に“この地”で更新したってことに、不思議な縁を感じずにはいられない。

 PPからスタートするシューマッハ。セーフティーカーも入る波乱のレースとなりながらも、トップをシューマッハ、アロンソが激しく争う展開。2005年とは逆に接近戦をシューマッハが制して、前年のアメリカGP以来、13レースぶりの優勝を飾る。

 結局、最終戦までアロンソとタイトル争いをしたシューマッハは、第15戦のイタリアGP後に引退を表明して、“一度”引退する。

 この先のシューマッハのキャリアは別にして、2000年のイタリアGPでセナの41勝に並び、2006年のサンマリノでPP記録を更新して、イタリアGPで優勝した後の会見で引退発表・・・

 どこまで完璧なキャリアなんだって僕は思う。それだけにレースに復帰した理由がいまだに理解出来ない。