土佐日記の中の和歌(1) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

承平4年12月~承平5年1月

 

これまで、源氏物語、平家物語、伊勢物語、枕草子など日本の代表的な古典文学(物語、随筆)の中に詠まれた和歌を紹介してきたが、以下では平安時代に書かれた日記の中に詠まれた和歌について紹介することとした。まず初めは、日本最古の日記文学とされる「土佐日記」の中の和歌について紹介する。

 

「土佐日記」は、その冒頭「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年(承平四年:934年)のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に門出す。・・・」にあるように、延長8年(930年)から承平4年(934年)にかけて土佐国に国司として赴任していた紀貫之が、その任期を終えて土佐から京へ帰る55日間(承平4年12月21日~承平5年2月16日)の帰路で遭遇した出来事を、書き手を女性に仮託して漢字ではなく仮名で日記風に綴った作品である(成立は承平5年(935年)後半か)。

 

内容はさまざまだが、その中心は土佐国で亡くなった愛娘を思う心情、行程の遅れによる帰京をはやる思いであり、諧謔をまじえて綴っている。歌は60首詠まれているが、そのうち長歌と舟歌が各1首ずつ含まれる。以下では、それを除く58首(承平4年12月に6首、承平5年1月に28首、承平5年2月に24首)について、3回に分けて紹介することとする。最初に、承平4年12月26日から翌承平5年1月17日までの19首を紹介する。

 

◎承平4年(934年)12月

●26日

〇前任の国守の紀貫之が任期を終えて帰京するにあたり、新任の国守の館で送別の宴が催されたが、その時に新任の国守(代わりに貫之?)が詠んだ歌

 都出でて 君に逢はむと 来しものを 来しかひもなく 別れぬるかな

〇それに応えて前任の国守(紀貫之)が詠んだ歌

 しろたへの 波路を遠く ゆきかひて 我に似べきは 誰れならなくに

 

●27日

〇いよいよ舟で帰京することとなり、大津から浦戸へ漕ぎだした。土佐に国守として赴任中に紀貫之は幼い娘を亡くし、帰京の際も娘が居ないことを悲しく思い貫之が詠んだ歌2首

 都へと 思ふをものの 悲しきは かへらぬ人の あればなりけり

 あるものと 忘れつつなほ なき人を いづらと問ふぞ 悲しかりける

 

〇しばらくして大津から鹿児の崎に着くと、新任の国守の兄弟や他の人たちが大勢、見送りに酒などを持って追いかけて来て(貫之?)詠んだ歌

 惜しと思ふ 人やとまると 葦鴨の うち群れてこそ われは来にけれ

〇それに感動して紀貫之が詠んだ歌

 棹させど 底ひも知らぬ わたつみの 深き心を 君に見るかな

 

◎承平5年(935年)1月

●7日

〇先月の29日には浦戸から大湊に着いたが、強風や波が高いため出航できず、そんな時、の池という名のところに住んでいる人から川や海の魚などを長櫃に入れて送って来た。若菜が今日(七草の節句)を知らせたので、貫之が詠んだ歌
 淺茅生の 野辺にしあれば 水もなき 池に摘みつる 若菜なりけり

 

〇その後、料理などを差し入れてくれた人(貫之?)が詠んだ歌

 ゆくさきに 立つ白波の 声よりも おくれて泣かむ われやまさらむ

〇それに対して誰も返歌をしなかったので、歌を詠んだ人はいたたまれず席を外したすきに、 ある子供(貫之?)が詠んだ歌

 ゆく人も とまるも袖の なみだ川 みぎはのみこそ 濡れまさりけれ

 

●8日

〇大湊に停泊したままで今夜の月は海に沈む。これを見て在原業平の「山の端にげて 入れずもあらなむ」という歌を思い出す。もし海辺で詠んだら「波立ちさへて 入れずもあらなむ」とでも詠んだであろう。今この歌を思い出して貫之が詠んだ歌

 照る月の 流るる見れば 天の川 出づる港は 海にざりける

 

●9日

〇ようやく早朝に大湊から奈半へ出航した。大湊までは多くの見送る人々がいたが、ここからは見送る人も無く、そんな心境を貫之が詠んだ歌

 思ひやる 心は海を 渡れども 文しなければ 知らずやあるらむ

 

〇こうして宇多の松原を通り過ぎた。見ると松原に波が打ち寄せ、枝ごとに鶴が飛び通っているので風流に思い舟人(貫之)が詠んだ歌

 見渡せば 松のうれごとに すむ鶴は 千代のどちとぞ 思ふべらなる

 

●11日

〇夜明け前に奈半から室津へ出航し、昼頃に羽根というとことに来た時、幼い子供が「ここは鳥のような羽の形なの」と言ったので、女の子(貫之?)が詠んだ歌

 まことにて 名に聞くところ 羽根ならば 飛ぶがごとくに 都へもがな

 

〇幼い子供が羽根のことを尋ねたので、貫之は亡くなった娘のことを思い出し、また、下向した時の人が足らないので、古歌に「数は足らでど 帰るべらなる」というのを思い出して、貫之が詠んだ歌

 世の中に おもひやれども 子を恋ふる 思ひにまさる 思ひなきかな

 

●13日

〇前日に室津に着き、夜明け前に雨が降って止み、女らは水浴びなどをしようと降りて行き、貫之が海を眺めて詠んだ歌

 雲もみな 波とぞ見ゆる 海人もがな いづれか海と 問ひて知るべく

 

●15日

〇天候が悪いので室津に留まり、すでに20日余り経ち人々は空しく海を眺めている。そんな時に女の子(貫之?)が詠んだ歌

 立てば立つ ゐればまたゐる 吹く風と 波とは思ふ どちにやあるらむ

 

●16日

〇風波が止まず室津に留まっているが、波が高くなければ御崎へ渡りたい。しかし風と波が止みそうもなく、ある人(貫之)がこの波が立つのを見て詠んだ歌

 霜だにも おかぬ方ぞと いふなれど 波の中には 雪ぞ降りける

 

●17日

〇雲が晴れて夜明け前の月が美しく舟を漕ぎ出すと、雲の上も海の底も月が輝き、昔の男は「棹は穿つ、波の上の月を。舟はおそうふ、海のうちの空を」と言い、これを聞いてある人(貫之)が詠んだ歌

 水底の 月の上より 漕ぐ舟の 棹にさはるは 桂なるらし

 

〇これを聞いてある人(貫之)が詠んだ歌

 影見れば 波の底なる ひさかたの 空漕ぎわたる われぞさびしき