大和物語の中の和歌(6) | 俳句の里だより2

俳句の里だより2

俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

第88段~第99段

 

このシリーズでは、「伊勢物語」に続き、平安時代中期(10世紀後半~11世紀初期)に成立した歌物語である「大和物語」(全173段、作者や成立年は不明)の中で詠まれた和歌(295首)について、第1段から順に紹介している。前回は、第69段~第87段までの25首を紹介したが、ここでは第88段~第99段までの24首を紹介する。

 

●第88段「紀の国の旅」

〇(前段に続き)但馬国の兵庫允だった男が妻とした女を置いて上京したが、その男が紀国に下る時に寒いといって着物を取りに使いを寄こしたので、女が詠んだ歌

 紀の国の むろのこほりに ゆく人は 風の寒さも 思ひ知られじ

〇それに対して女が詠んだ歌

 紀の国の むろのこほりに ゆきながら 君とふすまの なきぞわびしき

 

●第89段「網代の氷魚」

〇修理の君のもとへ右馬頭の男が通っていた時、男が「方塞がりなので行けません」と言ったので、修理の君が詠んだ歌

 これならぬ ことをもおほく たがふれば 恨みむ方も なくぞわびしき

 

〇しばらく右馬頭(男)が通わなくなってしまったので、修理の君(女)が詠んだ歌

 いかでなほ 網代の氷魚に こととはむ 何によりてか われを問はぬと

〇それに対して右馬頭が詠んだ歌

 網代より ほかには氷魚の よるものか 知らずは宇治の 人に問へかし

 

〇右馬頭がまだ通っていた頃、朝早くの別れ際に修理の君が詠んだ歌

 あけぬとて 急ぎもぞする 逢坂の きり立ちぬとも 人に聞かすな

 

〇右馬頭が通い出した頃に詠んだ歌

 いかにして われは消えなむ 白露の かへりてのちの ものは思はじ

〇それに対して修理の君が詠んだ歌

 垣ほなる 君が朝顔 見てしかな かへりてのちは ものや思ふと

 

〇修理の君と契りを交わし、帰った後に右馬頭が詠んだ歌

 心をし 君にとどめて 来にしかば もの思ふことは われにやあるらむ

〇それに対して修理の君が詠んだ歌

 たましひは をかしきことも なかりけり よろづの物は からにぞありける

 

●第90段「あだ心」

〇今は亡き兵部卿の宮(元良親王:陽成天皇の皇子)が修理の君に手紙でお伺いしたいと書いてきたので、それに対する修理の君が詠んだ歌

 たかくとも なににかはせむ くれ竹の ひと夜ふた夜の あだのふしをば

 

●第91段「扇の香」

〇三条の右大臣(藤原定方)が中将の頃、賀茂祭の勅使で出向いた際に扇を忘れてしまったので、今は付き合いが遠ざかった女に扇を送ってくれるように頼み、届いた扇の裏の端に書かれていた女が詠んだ歌

 ゆゆしとて 忌むとも今は かひもあらじ 憂きをばこれに 思ひ寄せてむ

〇それに対して藤原定方が詠んだ歌

 ゆゆしとて 忌みけるものを わがために なしといはぬは たがつらきなり

 

●第92段「師走のつごもり」

〇今は亡き権中納言(藤原敦忠)が、左大臣(藤原忠平?)の娘に逢瀬を重ねていた頃の12月末に詠んだ歌2首

 もの思ふと 月日のゆくも 知らぬまに 今年は今日に はてぬとか聞く

 いかにして かく思ふてふ ことをだに 人づてならで 君に聞かせむ

 

〇この後、一夜を共にした朝に藤原敦忠が詠んだ歌

 今日そへに 暮れざらめやはと 思へども たへぬは人の 心なりけり

 

●第93段「伊勢の海」

〇権中納言(藤原敦忠)は斎宮の皇女(雅子内親王:醍醐天皇の皇女)に長らく思いを寄せていたが、ようやく逢おうという時に内親王が伊勢の斎宮となり逢うことが叶わなかったため、藤原敦忠が残念に思い詠んだ歌

 伊勢の海の ちひろの浜に ひろふとも 今はかひなく おもほゆるかな

 

●第94段「巣守」

〇今は亡き中務の宮(代明親王:醍醐天皇の皇子)は、妻(藤原定方の娘)が亡くなったので、藤原定方の屋敷に移り住むと共に後妻に妻の妹(九の君)を貰おうとしたが、藤原師尹が九の君が狙っているのを不愉快に思い元の屋敷へ帰ったところ、藤原能子(藤原定方の長女:醍醐天皇の女御)が中務の宮に対して詠んだ歌

 なき人の 巣守にだにも なるべきを いまはとかへる 今日の悲しさ

〇それに対して中務の宮が詠んだ歌

 巣守にと 思ふ心は とどむれど かひあるべくも なしとこそ聞け

 

●第95段「越路の雪」

〇醍醐天皇が亡くなった後、三条の御息所(藤原能子:藤原定方の長女)のところへ式部卿の宮(敦実親王:宇多天皇の皇子)が通っていたが来なくなり、斎宮(孚子内親王:宇多天皇の皇女)からの手紙の返事の最後に藤原能子が詠んだ歌

 白山に 降りにし雪の あと絶えて 今はこし路の 人も通はず

 

●第96段「浪立つ浦」

〇(前段に続き)九の君(藤原定方の娘)は藤原師尹(藤原忠平の息子)と結ばれ、三条の御息所のところには式部卿の宮も来なくなり、藤原実頼(藤原忠平の息子、師尹の異母兄)が、好意を寄せていた三条の御息所に対して詠んだ歌

 浪の立つ かたも知らねど わたつみの うらやましくも おもほゆるかな

 

●第97段「月の面影」

〇太政大臣の藤原忠平の妻が亡くなり一周忌の準備を進めていた頃、美しい月を眺めながら藤原忠平がしみじみとした思いで詠んだ歌

 かくれにし 月はめぐりて いでくれど 影にも人は 見えずぞありける

 

●第98段「形見の色」

〇太政大臣(藤原忠平)が、妻の菅原の君(宇多天皇の皇女)が亡くなり喪が明けた頃、蘇枋重ねの服を着て醍醐天皇の皇后(穏子:忠平の妹)のもとに参上して、宇多法皇から階級より上の服の色の着用を許されたことを詠んだ歌

 ぬぐをのみ 悲しと思ひし なき人の かたみの色は またもありけり

 

●第99段「小倉山」

〇宇多法皇のお供で藤原忠平(太政大臣)が大井川に行った時、小倉山の紅葉が美しかったので、醍醐天皇にも行幸をお勧めしようとと思い詠んだ歌

 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば いまひとたびの みゆき待たなむ