大和物語の中の和歌(2) | 俳句の里だより2

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俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

第17段~第36段

 

このシリーズでは、「伊勢物語」に続き、平安時代中期(10世紀後半~11世紀初期)に成立した歌物語である「大和物語」(全173段、作者や成立年は不明)の中で詠まれた和歌(295首)について、第1段から順に紹介している。前回は、第1段~第16段までの計24首を紹介したが、ここでは第17段~第36段までの25首を紹介する。

 

●第17段「なびく尾花」

〇今は亡き式部卿の宮(敦慶親王:宇多天皇の皇子、伊勢との子が女流歌人の中務)に仕えていた出羽の御のもとへ継父の少将が通っていたが、別れた後に女(出羽の御)が尾花(ススキ)に文を付けて送ってきたので、少将が詠んだ歌

 秋風に なびく尾花は 昔見し たもとに似てぞ 恋しかりける

〇それに対して出羽の御が詠んだ歌

 たもととも しのばざらまし 秋風に なびく尾花の おどろかさずは

 

●第18段「草の葉」(若菜)

〇今は亡き式部卿の宮(敦慶親王)が、二条の御息所のもとに通わなくなった翌年の1月7日、女(二条の御息所)が式部卿の宮へ若菜を差し上げながら詠んだ歌

 ふるさとと 荒れにし宿の 草の葉も 君がためとぞ まづは摘みける

 

●第19段「夕されば」

〇秋になり、式部卿の宮(敦慶親王)が女(二条の御息所)のもとをしばらく訪れなかったので、女が詠んだ歌

 世に経れど 恋もせぬ 身の夕されば すずろにものの 悲しきやなぞ

〇それに対して敦慶親王が詠んだ歌

 夕ぐれに もの思ふ時は 神無月 われも時雨に おとらざりけり

 

●第20段「桂の皇女」

〇式部卿の宮(敦慶親王)を桂の皇女(孚子内親王:宇多天皇の皇女)がひたすら恋い慕ったが、敦慶親王は訪れないので、月の美しい夜に孚子内親王が敦慶親王に詠んで贈った歌

 久方の 空なる月の 身なりせば ゆくとも見えで 君は見てまし

 

●第21段「森の下草」

〇良少将(一説に良岑宗貞[僧正遍昭])が兵衛府の佐の頃、通っていた監の命婦から贈られてき歌

 柏木の もりの下草 老いぬとも 身をいたづらに なさずもあらなむ

〇それに対して良少将が詠んだ歌

 柏木の もりの下草 老いのよに かかる思ひは あらじとぞ思ふ

 

●第22段「染革の色」

〇良少将(僧正遍昭?)が監の命婦に太刀を結ぶ皮を求めたが、なかなか貰えなかったので、良少将が詠んだ歌

 あだ人の 頼めわたりし そめかはの 色の深さを 見でややみなむ

 

●第23段「山水の音」

〇元平親王(陽成院の皇子)は女五の宮(依子内親王)を得た後、年来通っていた後蔭の中将の娘の所を訪れなくなり、久しぶりに娘の所を訪れたが逢えなかったので、親王がこれまでの経緯を手紙で伝えた際に、娘が詠んで贈った歌

 せかなくに 絶えと絶えにし 山水の たれしのべとか 声を聞かせむ

 

●第24段「君松山」

〇先の帝(醍醐天皇もしくは 清和天皇)の代に、右大臣の娘(藤原定方の娘;藤原能子もしくは藤原多美子)が上の御局に参上して待っていたが、天皇がなかなか来ないので、右大臣の娘が詠んだ歌

 ひぐらしに 君まつ山の ほととぎす とはぬ時にぞ 声もをしまぬ

 

●第25段「千代の松」

〇明覚法師(藤原千兼の妻(としこ)の兄)が比叡山で修行をしている時、亡くなった高僧の僧坊に松の木が枯れているのを見て詠んだ歌

 ぬしもなき 宿に枯れたる 松見れば 千代すぎにける 心地こそすれ

 

●第26段「忍ぶ恋」

〇桂の皇女(孚子内親王:宇多天皇の皇女)が男と密会していた時に、孚子内親王が男のもとへ詠んだ歌

 それをだに 思ふこととて わが宿を 見きとないひそ 人の聞かくに

 

●第27段「なほ憂き山」

〇戒仙法師が親元へ着物を洗濯して欲しいと送ったところ、親が「親兄弟の言うことも聞かず法師になった人は、こんな面倒なことを言ってくるのか」と言ってきたので、戒仙法師が親に詠んで送った歌

 いまはわれ いづちゆかまし 山にても 世の憂きことは なほも絶えぬか

 

●第28段「霧の中」

〇戒仙法師の父(一説に在原棟梁)が亡くなった年の秋、戒仙法師と仲間の客が集まり酒を飲み交わし、夜明けが近づいて朝ぼらけの頃に霧が立ち渡り、客(紀貫之、紀友則ら)の誰かが詠んだ歌

 朝霧の なかに君ます ものならば 晴るるまにまに うれしからまし

〇それに対して戒仙法師が詠んだ歌

 ことならば 晴れずもあらなむ 秋霧の まぎれに見えぬ 君と思はむ

 

●第29段「をみなへし」

〇今は亡き式部卿(敦慶親王)の屋敷で三条の右大臣(藤原定方)など公卿たちが集まって宴会を催していた時に、夜も更けて、おみなえしを頭にさした右大臣(藤原定方)が詠んだ歌

 をみなへし 折る手にかかる 白露は むかしの今日に あらぬ涙か

 

●第30段「ふけゐの浦」

〇今は亡き右京の大夫(源宗于)が中々出世(昇進)出来ない頃、亭子の帝(宇多天皇)のもとへ紀伊国から石の付いた海松(海藻)が献上されたので、それを題にして右京の大夫(源宗于)が詠んだ歌

 沖つ風 ふけゐの浦に 立つ浪の なごりにさへや われはしづまむ

 

●第31段「見果てぬ夢」

〇右京の大夫(源宗于)が監の命婦に詠んで贈った歌

 よそながら 思ひしよりも 夏の夜の 見はてぬ夢ぞ はかなかりける

 

●第32段「武蔵野の草」

〇右京の大夫(源宗于)が出世を願って亭子の院(宇多天皇)に詠んで奉った歌2首

 あはれてふ 人もあるべく むさし野の 草とだにこそ 生ふべかりけれ

 時雨のみ 降る山里の 木の下は をる人からや もりすぎぬらむ

 

●第33段「常磐木」

〇かつて凡河内躬恒が出世を願って宇多法皇に詠んで奉った歌

 立ち寄らむ 木のもともなき つたの身は ときはながらに 秋ぞかなしき

 

●第34段「この花」

〇右京の大夫(源宗于)のもとにある女が贈った歌

 色ぞとは おもほえずとも この花は 時につけつつ 思ひ出でなむ

 

●第35段「大内山」

〇堤の中納言(藤原兼輔)が宮中の使いで大内山(御室山)にいる宇多法皇のもとに参上すると、心細そうにしているので同情しながら詠んだ歌

 白雲の ここのへに立つ 峰なれば 大内山と いふにぞありける

 

●第36段「呉竹」

〇堤の中納言(藤原兼輔)が宮中の使いで伊勢国の前の斎宮(柔子内親王:宇多天皇の皇女)を訪れた時に詠んだ歌

 くれ竹の よよのみやこと 聞くからに 君はちとせの うたがひもなし