我が家の近くの満開だった桜もついに散り始め、花吹雪が舞いだした。「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛)ではないが、桜の花の短さを思うにつけて人の世の儚さも思わざるを得ない。と同時に、仏教の「無常」についても思いを馳せた。「さまざまの こと思ひ出す 桜かな」(芭蕉)の心境でもある。
先日、平家物語や方丈記、徒然草などを読んでいて、それらの底辺に流れる思想と言われる「無常観」について少しばかり触れてみたくなった。
「無常観」と言えば、もちろんインド仏教、仏陀の教えに由来する思想であり、「すべて存在するものは絶えず移り変わっていると観察する人生観であり世界観」とされる。別の表現をすれば、「一切は無常であるとする、ものの見方。」であり、「無常とは、この世の中の一切のものは常に生滅流転して、永遠不変のものはないということ。特に、人生のはかないこと。また、そのさま。」である。
なお、日本の鎌倉時代に著わされた「平家物語」や「方丈記」に代表される「無常観」は、この仏教の「無常観」とはややニュアンスを異にしており、「人生の短いことを儚む」と「無常を感情や情緒としてとらえる」ためにやや虚無的で否定的になり、それは「無常観」よりも「無常感」といったものになる。
日本では、平安時代末期になって天変地異や乱世のために世の中が乱れ人心が不安になり、「末法思想」が流行した。そのために、仏教の「無常観」はネガティブな観念となり「無常感」に近くなった。鎌倉時代になって、その潮流を遺憾なく表現しているのが鴨長明の「方丈記」であり、「平家物語」である。また、その思想は鎌倉後期になっても続き、吉田兼好の「徒然草」の中にもその「無常感」が表現されている。
以下では、この「無常観(無常感)」が表現されている「方丈記」「平家物語」の冒頭部分と、「徒然草」の幾つかの段を抜粋して列記する。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き賤しき人の住ひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或は、去年焼けて今年作れり。或は、大家ほろびて小家となる。
住む人も、これに同じ。所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、ニ三十人が中に、わづかに一人二人なり。朝に死し、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか、目を喜ばしむる。その主とすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は、露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は、花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。」
遠くの異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらは皆、旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらはおごれる心もたけきことも、皆とりどりにこそありしかども、間近くは六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま、伝え承るこそ、心も詞も及ばれね。」
命あるものを見るに、人ばかり久しきものはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや。あかず惜しと思はば、千年を過すとも一夜の夢の心地こそせめ。・・・」(第7段)
身を養ひて何事をか待つ。期する所、ただ老と死とにあり。その来る事速かにして、念々の間にとどまらず、是を待つ間、何の楽しびかあらん。まどへる者はこれを恐れず。名利におぼれて先途の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は、またこれを悲しぶ。常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。」(第74段)