短歌(和歌)の歴史概観(21) | 俳句の里だより2

俳句の里だより2

俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

江戸時代(前期・中期)

 

藤原定家の次男為家の3人の子供により、二条、京極、冷泉の三家が南北朝、室町時代を通して歌壇を支配してきたが、和歌は類型化、形骸化の道をたどった。特に応仁の乱以降、歌壇の主流となった二条派の歌人たちは「古今和歌集」を最高の古典として口伝、秘説化し継承していった(古今伝授)。最後は細川幽斎へと伝授され、江戸時代へと入っていくが、幽斎の死とともに古今伝授は絶えることとなり、中世の和歌は終焉を迎える。

 

江戸時代に入っても和歌の衰退はしばらく続いたが、幽斎に学んだ木下勝俊(長嘯子)やその弟子の下河辺長流らが出て、その沈滞ムードを破ろうとした。元禄時代には戸田茂睡が出て因襲的な中世の歌学の打破や歌の解放を唱え、近世という新しい時代の歌が開けた。そして、この機運から自由な古典学(国学)が興こり、この古典学を通して「万葉集」が見直され復活した。

 

この「万葉集」の復活の動きの中から、先駆者として下河辺長流と親しかった契沖が現れ、やや遅れて荷田春満、春満の門下の賀茂真淵、真淵門下の田安宗武、楫取魚彦らが出て「万葉調」の歌を詠んだ。また、真淵門下で江戸派と呼ばれる加藤(橘)千蔭、村田春海らは「古今調」の歌を詠んだ。その一方で、先の荷田春満や真淵門下の本居宣長らは「新古今和歌集」を高く評価し、「新古今調」の歌を詠んだ。その他同時代の優れた歌人に「雨月物語」作者の上田秋成などがいる。


 

 鶯の こゑのひびきに 散る花の しづかに落つる 春のゆふぐれ (木下長嘯子)

 

 夕立の 杉の梢は あらはれて 三輪の檜原ぞ またくもりゆく

 

 秋の野に 千箱の玉を なげすてて とる人なしに みゆる白露

 

 冬枯れの 梢を松に 吹きまぜて こまかにかはる 風の音かな

 

 露の身の 消えてもきえぬ 置き所 草葉のほかに またもありけり


 

 花も根に かへるを見てぞ 木のもとに われも家路は 思ひいでける (下河辺長流)

 

 いにしへを しのぶねざめの とこ世物 をりあはれにも 香る夜半かな

 

 たましひの 入野のすすき 初尾花 わがあかざりし 袖と見しより

 

 小山田に 冬の夕日の さしやなぎ 枯れてみじかき 影ぞのこれる

 

 夜といへば ねられぬ恋も 故やあると 夢殿にこそ きかまほしけれ

 

 
 夕霧に 谷中の寺は 見えずなりて 日暮の里に ひびく入相 (戸田茂睡)

 

 立ちよるも ひとりさびしき 木の下に 花も去年見し 人や恋しき

 

 みそら行く 光はさらに かはらぬに いつの月日の 老となしけん

 

 いのらずよ 身はかりそめの 旅衣 袖敷しまの 道の外には」

 

 暮れかけて 山路の花に たれか来ん 入日をつなげ ささがにの糸 


 

 はつせのや 里のうなゐに 宿とへば 霞める梅の 立枝をぞさす (契沖)

 

 橘の 陰ふむ道に しのべども 昔ぞいとど 遠ざかりゆく

 

 難波がた 霧間の小船 こぎかへり けふもきのふも おなじ夕暮

 

 山深み 霜ふむ跡の 一すぢや 木の葉のおくの 人の通ひ路

 

 野べの露 山の雫も しかま川 海に出でては かはらざりけり


 

 うらうらと のどけき春の 心より にほひいでたる 山ざくら花 (賀茂真淵)

 

 み吉野を 我が見にくれば 落ちたぎつ 滝のみやこに 花散りみだる

 

 あしびきの 岩ね菅原 いくつ夏 しげりゆくらむ 岩ね菅原

 

 大比叡や 小比叡の雲の めぐり来て 夕立すなり 粟津野の原

 

 遠つあふみ 浜名の橋の 秋風に 月すむ浦を むかし見しかな

 

 にほとりの 葛飾早稲の 新しぼり 酌みつつをれば 月かたぶきぬ

 

 ちちの木の ちちぶの山の 薄もみぢ うすきながらに 散れる冬かな

 

 神無月 たちにし日より 雲のゐる あふりの山ぞ 先づしぐれける

 

 色かはる 萩の下葉を ながめつつ ひとりある身と なりにけるかも

 

 み民われ 生けるかひありて さすたけの 君がみことを 今日聞けるかも


 

 真帆ひきて 寄せ来る船に 月照れり 楽しくぞあらむ その舟人は (田安宗武)

 

 昨日まで 盛りを見むと 思ひつる 萩の花ちれり 今日の嵐に

 

 萩咲ける 山辺の石は 心ありと 人や見るらむ 仮に置きしを

 

 富士の山 見むとし欲りて 山のべに 作りし庵に 入日さす見ゆ

 

 さざなみの 比良の山べに 花咲けば 堅田にむれし 雁かへるなり

 

 やましろの 井手の玉川 みづ清み さやにうつろふ 山吹の花

 

 何ゆゑと 事はしらぬを 葵ぐさ 賀茂の祭に 吾もかざせり

 

 夕日影 にほへる雲の うつろへば 蚊遣火くゆる 山もとの里

 

 み吉野の とつ宮どころ とめくれば そことも知らに 薄生ひにけり

 

 武蔵野を 人は広しとふ 吾はただ 尾花分け過ぐる 道とし思ひき

 

 青雲の 白肩の津は 見ざれども 今宵の月に 思ほゆるかも

 

 昼行きし 川にしあれど 夕されば 静けくゆたに 新しきごと


 

 皇神の 天降りましける 日向かなる 高千穂の岳や まづ霞むらむ (楫取魚彦)

 

 とほしろく 清くさやけき 山河の かはらず絶えず 常にもがもな

 

 天雲の 向伏すをちの わたつみの 霞める方ゆ 船ぞみえくる

 

 風の音の とほつ大浦 にはをよみ はららにうける 海人の釣舟

 

 吾がごとく 今しも友や まどはせる 夜わたる雁の 声のかなしも

 

 
 二見潟 こちふく風に 明けそめて 神代のままの 春は来にけり (加藤千蔭)

 

 隅田川 堤にたちて 舟待てば 水上とほく 鳴くほととぎす

 

 網代木に おりゐる鷺の 蓑毛のみ 一むら白き 宇治の川霧

 

 うち日さす 宮路の雪に あぢまさの 車静けき 朝ぼらけかな

 

 伊勢の海や 二見の浦の 二つなき 玉にたぐへし 人をしぞ思ふ


 

 つくばねの 高嶺のみゆき 霞みつつ 隅田河原に 春たちにけり (村田春海)

 

 桂人 鵜川たつとや 波のうへに みだれてみゆる 瀬々の篝火

 

 おのづから 月の光と なりにけり 雲ふきはらふ 夜はの秋風

 

 泊り舟 苫のしづくの 音たえて 夜半のしぐれぞ 雪になりゆく

 

 雪ふれば 千里もちかし 欄干の もとよりつづく 不二の柴山


 

 いひしらぬ 神代の春の 面かげを 見せてかすむや 天のかぐ山 (荷田春満)

 

 山はみな かをりし花の 雲きえて 青葉が上を 風わたるなり

 

 ほのかにも あけゆく星の 林まで 秋の光と 見れば身にしむ

 

 見る書は のこり多くも 年くれて 我がよふけゆく 窓の燈火

 

 松杉も うゑばや家の 北おもて 雪みむためと 人はしらじな


 

 敷島の やまと心を 人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花 (本居宣長)

 

 月影も 見し春の夜の 夢ばかり 霞に残る あけぼのの空

 

 おきわたす 田の面の露も 深き夜の 稲葉におもる 秋の月影

 

 島山は つもるも見えず かきくれて 友船しろき 雪の海原

 

 朝たちて 比良の高嶺の 雪見れば きぞの夜床は うべさえにけり

 

 仏らは 玉のうてなに いつかえて 神は雨もる 小屋のしき屋

 

 わたらひの 大河水を むすびあげて 心も清く おもほゆるかも


 

 我こそは 面がはりすれ 春霞 いつも生駒の 山に立ちけり (上田秋成)

 

 かげろふの もゆる春日の 小松原 鶯遊ぶ 枝うつりして

 

 夜にかくれ 逢ひにし人に 花山の 道にゆきあふ おもなしや我

 

 かぐ山の をのへに立ちて 見わたせば 大和国はら 早苗とるなり

 

 明けぬれば 樗花さく 葉隠れに やめば次がるる ひぐらしの声

 

 秋の雲 風にただよひ ゆく見れば 大はた小幡 妹がたく領布

 

 ねざむれば 比良の高峰に 月落ちて 残る夜くらし 志賀の海づら

 

 年ごとに やらへど鬼の まうでくる 都は人の すむべかりける

 

 我よりも まづしき人の 世にもあれば 茨からたち ひまくぐるなり