短歌(和歌)の歴史概観(15) | 俳句の里だより2

俳句の里だより2

俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

平安時代(後期)

 

平安時代には「古今和歌集(古今集)」から鎌倉時代初めの「新古今和歌集(新古今集)」まで全部で8つの勅撰集が編纂された(八代集)。この間に六歌仙、古今集の4選者、中期の女流歌人はじめ多くの歌人が輩出した。そして平安後期には、源経信、源俊頼、藤原基俊、藤原顕輔、藤原俊成、崇徳院、平忠度、能因法師、西行法師らの歌人が現れた。なかでも藤原定家の父である藤原俊成と西行は優れた歌人であり、俊成は優美典雅な情趣と幽遠静寂な境地をめざした。西行は自然を愛し諸国行脚して無常観、無限の哀調を込めた歌を詠んだ。以下、これらの歌人の歌をいくつか紹介して平安時代をひとまず終えることとする。


 

 今日といへば 唐土までも 行く春を 都にのみと 思ひけるかな (藤原俊成)

 

 面影に 花のすがたを 先だてて 幾重越えきぬ 峯の白雲

 

 駒とめて なほ水かはむ 山吹の 花の露そふ 井手の玉川

 

 昔思ふ 草の庵の 夜の雨に 涙な添へそ 山ほととぎす

 

 誰かまた 花橘に 思ひ出でむ 我も昔の 人となりなば

 

 五月雨は 焼く藻のけぶり うちしめり しほたれまさる 須磨の浦人

 

 たなばたの とわたる舟の 梶の葉に いく秋書きつ 露の玉づさ

 

 夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり 深草の里

 

 石ばしる 水の白玉 数見えて 清滝川に すめる月影

 

 月きよみ 千鳥鳴くなり 沖つ風 ふけひの浦の 明けがたの空

 

 雪ふれば 嶺の真榊 うづもれて 月にみがける 天の香久山

 

 思ひあまり そなたの空を ながむれば 霞を分けて 春雨ぞふる

 

 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

 

 忘れじよ 忘るなとだに いひてまし 雲居の月の 心ありせば

 

 世の中を 思ひつらねて ながむれば むなしき空に 消ゆる白雲

 

 住みわびて 身を隠すべき 山里に あまり隈なき 夜半の月かな

 

 月さゆる みたらし川に 影見えて 氷にすれる 山藍の袖

 

 
 岩間とぢし 氷も今朝は とけそめて 苔の下水 みちもとむらん (西行法師)

 

 ふりつみし 高嶺のみ雪 とけにけり 清滝川の 水の白波

 

 吉野山 さくらが枝に 雪ちりて 花おそげなる 年にもあるかな

 

 おしなべて 花のさかりに なりにけり 山の端ごとに かかる白雲

 

 願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ

 

 吉野山 こぞのしをりの 道かへて まだ見ぬかたの 花をたづねむ

 

 ながむとて 花にもいたく なれぬれば 散る別れこそ 悲しかりけれ

 

 ほととぎす 深き峰より 出でにけり 外山のすそに 声のおちくる

 

 道の辺に 清水ながるる 柳蔭 しばしとてこそ 立ちとまりつれ

 

 よられつる 野もせの草の かげろひて 涼しくくもる 夕立の空

 

 あはれいかに 草葉の露の こぼるらむ 秋風立ちぬ 宮城野の原

 

 おほかたの 露にはなにの なるならむ 袂におくは 涙なりけり

 

 心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫たつ沢の 秋の夕暮

 

 秋篠や 外山の里や しぐるらむ 伊駒の岳に 雲のかかれる

 

 津の国の 難波の春は 夢なれや 葦の枯葉に 風わたるなり

 

 さびしさに 堪へたる人の またもあれな 庵ならべむ 冬の山里

 

 なげけとて 月やはものを 思はする かこちがほなる 我が涙かな

 

 くまもなき 折しも人を 思ひ出でて 心と月を やつしつるかな

 

 待たれつる 入相の鐘の おとすなり 明日もやあらば 聞かむとすらむ

 

 吉野山 やがて出でじと 思ふ身を 花ちりなばと 人や待つらむ

 

 世の中を 思へばなべて 散る花の 我が身をさても いづちかもせむ

 

 身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ

 

 神路山 月さやかなる 誓ひありて 天の下をば 照らすなりけり

 

 年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり さやの中山

 

 風になびく 富士の煙の 空に消えて ゆくへも知らぬ 我が心かな

 

 
 さもあらばあれ 暮れゆく春も 雲の上に 散ること知らぬ 花し匂はば (源経信)

 

 早苗とる 山田のかけひ もりにけり 引くしめなはに 露ぞこぼるる

 

 夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろ屋に 秋風ぞ吹く

 

 月影の すみわたるかな 天の原 雲吹きはらふ 夜はの嵐に

 

 三室山 もみぢ散るらし 旅人の 菅のを笠に 錦織りかく

 

 君が代は つきじとぞ思ふ 神風や 御裳濯川の すまむかぎりは

 

 沖つ風 吹きにけらしな 住吉の 松のしづ枝を あらふ白波

 

 
 山桜 咲きそめしより 久かたの 雲ゐに見ゆる 滝のしら糸 (源俊頼)

 

 白川の 春の木ずゑを 見わたせば 松こそ花の たえまなりけれ

 

 あさりせし 水のみさびに とぢられて 菱の浮き葉に かはづ鳴くなり

 

 風ふけば 蓮の浮き葉に 玉こえて 涼しくなりぬ 日ぐらしの声

 

 とをちには 夕立すらし 久方の 天のかぐ山 雲がくれゆく

 

 鶉鳴く 真野の入江の 浜風に 尾花なみよる 秋の夕暮

 

 あすも来む 野ぢの玉川 はぎこえて 色なる波に 月やどりけり

 

 故郷は ちる紅葉ばに うづもれて 軒のしのぶに 秋風ぞ吹く

 

 日暮るれば 逢ふ人もなし まさきちる 峰の嵐の 音ばかりして

 

 おちたぎつ 八十うぢ川の はやき瀬に 岩こす波は 千代の数かも

 

 難波江の 藻にうづもるる 玉がしは あらはれてだに 人を恋ひばや

 

 思ひ草 葉末にむすぶ 白露の たまたま来ては 手にもたまらず

 

 憂かりける 人を初瀬の 山おろし はげしかれとは 祈らぬものを

 

 世の中は 憂き身にそへる 影なれや 思ひすつれど はなれざりけり


 

 夏の夜の 月待つほどの 手すさみに 岩もる清水 いくむすびしつ (藤原基俊)

 

 あたら夜を 伊勢の浜荻 をりしきて 妹恋しらに 見つる月かな

 

 契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり

 

 
 葛城や 高間の山の さくら花 雲ゐのよそに 見てや過ぎなむ (藤原顕輔)

 

 秋風に たなびく雲の 絶えまより もれ出づる月の 影のさやけさ

 

 高砂の 尾上の松に 吹く風の おとにのみやは 聞きわたるべき

 

 
 花は根に 鳥はふる巣に かへるなり 春のとまりを 知る人ぞなき (崇徳院)

 

 玉よする 浦わの風に 空はれて 光をかはす 秋の夜の月

 

 もみぢ葉の ちりゆく方を 尋ぬれば 秋もあらしの 声のみぞする

 

 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ

 

 
 さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな (平忠度)

 

 行き暮れて 木の下蔭を 宿とせば 花や今宵の あるじならまし

 

 恋ひ死なむ 後の世までの 思ひ出は しのぶ心の かよふばかりか

 

 
 心あらむ 人に見せばや 津の国の 難波わたりの 春のけしきを (能因法師)

 

 山里の 春の夕暮 きてみれば 入相の鐘に 花ぞ散りける

 

 嵐吹く みむろの山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり

 

 都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関

 

 世の中は かくても経けり 象潟の 海人の苫屋を わが宿にして

 

 夕されば 汐風こして みちのくの 野田の玉川 千鳥鳴くなり