秋の暮
雨上がる地明かりさして秋の暮 鈴木 花蓑
あめあがる じあからさして あきのくれ すずき はなみの
地明かりを感じ取れれば句のよさがわかるシンプルな句である。
雨が上がり、日の明かりが 復活したのだが、秋の景色が自ずと光を内包して現れたかのような夕暮れ。
日の光に照らされた明るさではなく、自ずから浮き上がってきたような家並み、商店街、未舗装の道路、そしてその風景の元になる地そのものの。
わずかな時間でもある。
立秋以降日が短くなる秋特有の寂しさも感じられる。
秋
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田 蛇笏
くろがねのあきのふうりんなりにけり いいだ だこつ
今でも風鈴をぶら下げている家庭は多い。
今はガラス製が多いですかね。
この句のくろがねってのは鉄の風鈴である。
南部鉄製品の風鈴であろう。
ガラス製よりも音が重厚である。
仏壇で、ちんちんと叩くオリンの音に似ている。
風鈴は思わずして鳴ったのであろう。短い間。
しまい忘れた鉄の風鈴が。
風鈴は当然夏の季語である。
くろがねの、秋のと続けて、鳴ったことだけで秋の本質を感じた作者の感性がこの句を成り立たせている。
くろがねのっていう音も文字表現もどっしりと実感できますね。
風鈴は音で涼を感じる日本人の粋な感覚が生み出した風物ですね。
俳句の世界では、その風鈴の音に粋ではない真実を求めるので深刻な句もある。
業苦呼起す未明の風鈴は 石田 波郷
ごうくよびおこすみめいのふうりんは いしだ はきょう
入院中の句である。
結核であろうか、肉体的な苦痛に耐えている。
病棟という閉ざされた空間、予想される死。
取り巻く家族の経済的不安。
己の志への終息。
さまざまな悩みが残った中、ただ肉体的苦痛に耐える日々である。
病棟内の暑さと動かない空気。
隣人、看護婦、医者への不満。
すえた臭いを覆い隠す消毒臭。
耐えられない肉体的な苦痛。
理性を総動員してなんとか精神でバランスをとり生きている。
寝る。
睡眠は苦しから、現世から離れられる最上の救いである。
南部鉄風鈴であろう。
耳に捉えてしまった、予想していない朝3時頃の風鈴の音にに精神的バランスを崩される。
どこも恨めない。絶望のまた上塗りである。
この句は風鈴が季語になっているから、夏の句である。
この句を知った上で、蛇笏の句を読むと深い解釈が生まれる。
秋の暮
雨上がる地明かりさして秋の暮 鈴木 花蓑
あめあがるじあからさしてあきのくれ すずき はなみの
地明かりを感じ取れれば句のよさがわかるシンプルな句である。
雨が上がり日の明かりが復活したのだが、秋の景色が自ずと光を内包して現れたかのような夕暮れ。
日が短くなるに共なる秋特有の寂しさも感じられる。
世界陸上で為末さんが400mハードルで銅メダルを取りました。
おめでとうございます。
決勝出場中最下位に近いランクでした。
雨が降りました。各選手が眉をひそめる中、さむらい為末は状況を判断し有利な雨と判断していたようです。
フライングもありました。
3位でゴールした後も雨は降り続いていました。
泣いていました。雨に隠れた号泣でした。
ここ数年辛いことがあったそうです。
明日の夕暮ヘルシンキで為末さんはこの句を理解できる人になるんですね。
照らされる風景ではなく、自ずから光を発するヘルシンキの秋の風景に心から感動するのでしょう。
秋の道
真直ぐ往けと白痴が指しぬ秋の道 中村 草田男
ますぐゆけとはくちがさしぬあきのみち なかむら くさたお
本日立秋。本日もこれほど暑いのに、俳句の世界では秋になってしまった。
今回の句、白痴が象徴的である。
夏の強い暑さで朦朧となっていた自分自身を指しているのか、文学の世界にピエロ的に登場し結局は真実を指し示してたって登場人物を指すのか、もしくは偉いといわれる現実の人、指導者を揶揄してるのか。
兎に角道は目の前にしかなく行かざるをえない。
人がどう生きるかは、秋に悩み、冬に蓄え、春に希望、夏に迷うの繰り返しかも知れない。
立秋の本日、いずれにしても選んだ道を進み、さて悩みみましょうってことでしょうね。
郵政民営化で国がゆれてますけど、微妙に季節とリンクしている小泉さん面白いですね。
15日に靖国参拝解散でもするんですかね。
白痴が誰を指すのかは流動的ですが、普遍的に白痴は毎年登場しますね。
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六月2
六月の女すわれる荒筵 石田 波郷
ろくがつの おんなすわれるあらむしろ いしだ はきょう
俳句には前書がついている場合も多い。言うなれば解説みたいなもん。
反則に近い気がするが、多くの場合うまく行っている。
この句にも前書がついている。
「焼け跡情景。一戸を構えた人の屋内である。壁も天井もない。片隅に。空缶に活けられた沢瀉(おもだか)がわずかに女を飾っていた」
春を売って生業としている女性であろう。
戦後、焼け跡の地。
俳句を作る場合、文字数の制限からいろんな言葉を捨てなくてはならない。
この句は、大胆にすててその大胆さで人間の生命力のすさまじさを鷲掴みにし表現した句である。
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六月
六月や峰に雲置くあらし山 松尾 芭蕉
芭蕉が登場してしまいました。
芭蕉や蕪村の頃の句はまた次元が違って、近代俳句とは解釈にギャップがあるのでちょっと難しい。
って事は無視して鑑賞しましょう。
「置く」のはあらし山の意思ですね。
風景には、自然界の意思を感じる時があります。
擬似的に自然界の意思の存在を肯定したときに、真実を感じることが出来る。
テクニックとしては面白い情報があります。
六月はこの時代、みなずきと読まれることが多かったので、芭蕉はルビを振っていたようです。
音を大切にしたのでしょうね。
「あらし」「置く」これらに対応するにはみなずきの出だしを弱いと感じたのでしょう。
ろくぐぁつの「がぁつ」が欲しかったんでしょう。
俳句は、文章では無いのですね。
この句の場合、山に意思を持たせてみたり、音でバランスをとったり。
紙に円を描くのではなく、球を創造するのに似ています。
芭蕉の場合旅に住んだ人ですから、句を詠むのは挨拶の意味もたぶんに含まれます。
この句は去来への挨拶の句でもあります。
変な仮説で芭蕉忍者論なんてのもあります。
- お勧め本です。
松尾 芭蕉, 中村 俊定 - 芭蕉俳句集
麦の秋
むぎのあきからすもさぎもらくきおう ふくだりょうてい
と読む。
俳句の場合、少ない語句でイメージを表現する為、象形文字的な利便性を利用することが多い。
「麦の秋」は稲と違って、麦は夏収穫期を迎える。
日差しが強くなった頃、麦はその頭をたれ麦畑は収穫の茶色一面の景色になる。
夏の空気の中、茶色に変わった麦畑を近景として、からすやさぎが夕日に向かって羽ばたいていく。
俳句の感じ方には、映像的な方向と、感覚的な方向がある。
この句の場合、映像的な句といえよう。
日差しの強さ、一面の収穫期の麦の茶色。
その上を、鳥は日没の太陽を追うように去っていく。
ゴッホの絵に鴉の絵があってと思うが、季節の雰囲気が似ているように思える。
俳句を楽しむ場合、感覚的な部分、絵画や写真的な部分、観念的な部分、人により異なるが複数の感性が要求される。
この句は映像的な雰囲気を味わって、んーなるほどと理解すればいい。
俳句は感性の数ほど表現方法があるし、感性の数ほど解釈がある。
読み手としては、感性の多様性が求められるので、鑑賞は難しい。
今後もケースで説明していますが、今回はゴッホの絵になぞらえて、映像的に感じていただきたい。
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五月2
肌着などやさしきものの五月かな 能村 登四郎
俳句は五七五の短い言葉の中に普遍な真実を詰め込むことが本質である。
しかしこの句にはあやふやな、一般的には俳句が嫌う「など」「やさしき」などが使われている。
しかしこの句に惹かれるのは「肌着」から「五月」まで曖昧な言葉で繋ぎ合わされているのに、結果実感が伴うダイナミックさであろう。
成功の要因は「肌着」の実際感の再認識であろう。
「肌着」という言葉の皮膚感触が曖昧な言葉を経て新たな全体感覚を呼び起こしている。
初夏、洗濯された肌着、多分U字型のシャツを身につけた感想であろう。
肌とシャツの間にふんわりとした空気を感じて、そのふわりとした感覚に初夏の感覚の総体を感じたのである。
五月
五月の夕暮大きな路の見ゆる 飛鳥田孋無公
作者の俳号はあすかたれいむこうと読む。
俳句では月を旧暦で言う。
大体1ヶ月半遅れになるので、この場合六月半ばのことである。
破調(五七五になっていない句)ではあるが不思議な魅力がある。
破調の句の多くは現実と夢の世界の掛け橋をすることが多い。
なんとなく思っていたり感じていたりすることを断言することでディジャブを喚起して真実に昇華させる技である。
剣道に例えると、最上段に構え「五月の夕暮」そのまま振り落として「大きな路の見ゆる」で面一本。
どうして一本取られたか分からないが取られた気持ちにさせて感性を喚起する。
実際は作者が「大きな路の見ゆる」時に「五月の夕暮」だったことに驚いているのである。
何なんだこのはまりようは?どうだ不思議だろう。がこの句の本質かもしれない。
各人自身の経験と体験に照らし合わせて解釈していただきたい。
つくづく俳句は読み手の文学であると思います。
はつなつ
はつなつの鳶をしずかな鳥とをもふ 神尾 久美子
鳶はとび。とんびがくるりと輪を書いた♪(これも古くて分からないか。すいません)
今は江ノ島や鎌倉の鳶は人間が持っている食べ物を平気で狙って攻撃してくる。
去年私も体験した。
生態系の変化が深刻なのか、サルや熊、しかやいのししが里山、人間の生活圏に平気で入ってきている。
この句はそんな生き物達が人間社会と分離して存在できた頃の作である。
夏が近づくと人はちょっと忙しくなる。
女性は特に衣替えなど、家族や私事に変化がある。
その変化の最中にふと見上げた鳶に、自分とはつなつの関係を感じたのかも知れぬ。
上手なのは初春と静かなをひらがなでとどめたことだろう。
空の広さが感じられる。
作句では基本的なテクニックではあるが、この句では思いのほか成功している。
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