初夏
こういったちょっと性的な俳句もたくさん詠まれてる。
初夏ははつなつと読む。喜舟はきしゅうと読む。
現在のようにエアコンが無かった頃は、夏に薄着になって乳房の上のほうが目に入ることが一般的であった。
紫外線から隠されていた皮膚はあまりにも白く太い血管の血が透けて見えるのである。
青さかなの詠嘆の中には人(女性)の生命力が感じられる。
あるいは臨月の近い妊婦なのかもしれない。
ある意味作者は乳房に圧倒されている。
そこがこの句がいやらしさを持たないで人間の生命力の肯定と夏になろうとする季節の実感を感じさせるのであろう。
おそるべき君等の乳房夏来る 西東 三鬼
夏
独り居の夏になりゆく灯影かな 長谷川 春草
灯影はほかげと読む。
長谷川春草さんは銀座の小料理屋の主人だった人。
ほかげは街灯の映し出す影。
独り居の、とあるので自分自身の影を見ているのであろう。
街灯に映し出された自身の影に夏の気配を感じ取ったのである。
日が伸びて、街灯に映し出された影が淡くなっていることを。
上手なのは「なりゆく」の部分ですね。
季節が移ることを詠嘆する感情がさりげなくこもっていい感じになっています。
「かな」は俳句では多用されるので覚えてください。
詠嘆の気持ちを表します。まあ単純にいうと「だなー」とか「だよなー」なんって気持ち。
料理人の世界では仕込みといわれる食材の下ごしらえが重要で時間のかかる仕事です。
里芋の皮むきなんてのは典型的な仕込みの作業でこんな単純な仕事はしたっぱの仕事です。
春草さんもこんな修行時代をすごしてきたんだと思います。
銀座の街灯に照らし出された自分の影を見て、修行時代の自身の炎天下の影と比べてるのかも知れません。
自身が見る自分の影は、その人がどのような人生を歩むかで変わります。
炎天下の濃い影ばかりを見て一生を過ごす人と、自身の影など意識しなかった人。
または年代によって自身の影の印象が変わってきた人。
春草さんは、ああ自身の影が変化した人なんでしょうね。
銀座の街灯に照らし出される、通常であれば営業時間であるため見たことも無かった夏めいた自身の影。
修行時代にも無縁だった影。
さらりとした言い方、灯影という漢字の使い方、こちらは都会的な感じがします。
というもろもろの印象で俳句はなりったています。
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