俳句の季語は旧暦で考えるので今の時期ならもう”春”になります。「暦の上では…」と言われるよう
にネ。けれども実質的にはまだまだ外は冬の真っ最中・・・。来月に入れば、もう少し実感・体感的に
春を感じる気候になるでしょうが・・・。今の時期、冬の季語と春の季語が混在している気分かな(笑)
こんにちは、本日の季語は「水仙花」(すいせんか)・・・冬の季語で水仙の花のことです。
普通に「水仙」だけでも水仙の花を意味しますが、「花水仙」、また人の手で植栽されたのでなく
自然に生息しているものを「野水仙」とも・・・。
ヒガンバナ科の多年草で水辺や海岸近くに自生していたり、切り花として栽培されています。
とても丈夫で生命力の強い花ですから、いつの間にか空き地や庭の片隅で咲き出すこともあるし
早ければ11月の終わり頃から咲き始めているのではないかしら?
堤防沿いの小道などでもそのやや俯きがちに咲いている姿を見かけることも多いと思います。
また雪の中でも咲くことから「雪中花」((せっちゅうか/せつちゅうか)とも呼ばれています。
この季語も語感や字面が綺麗ですよね。 雪の中でも誇り高くすうっと茎を伸ばして咲く花です。
※2016.02.19 雪中花 ( ^ー゜)σ 人はひと我は我なり雪中花
【画像引用:https://tenki.jp/suppl/yasukogoto/2015/11/21/8071.html】
水仙の”水”は、水辺の”水”を表しているのでしょうか。古代シナ語をそのまま音読みにしました。
天に住むのが天仙、地に住むのが地仙であり水に住むのが水仙なので、そこから水辺に咲く
清らかな花を水仙と呼んだのですね。 ↓お借りした画像ですが・・・。
【画像引用:http://kyoto-tabiya.com/blog_rakunan/】
ルーツは地中海方面なのですが、はるか古代、奈良時代以前に大陸経由でもたらされたようですが
正確な時期はわからないままに日本の風土に定着し、その清楚な姿が愛されてきました。
伊豆下田方面などでは自然のままの野水仙の群生地が各所に見られますよね。
こちらは ↓白浜と下田の中間くらいに位置する須崎半島の爪木崎の群生地ですが───
【画像引用:http://shimoda.izuneyland.com/suisen.html】
決して華やかさや派手さはないのだけれど、シンプルな美しさは冬の季節によく似合うよなあ。。。
無駄なものを全部削ぎ落としたような美しさですからね。
※2014.01.14 水仙 ( ^ー゜)σ 水仙の一輪ゆへに尊けり
※2015.01.17 水仙花 ( ^ー゜)σ 断捨離は知らねど咲けり水仙花
また、水仙の一番目立つ特徴は、花の中央には副花冠という部分が襟のように環状に立っている
ことでしょうか? この部分がなんとも愛らしいんだよね。 おちょぼ口みたいでさ♪
※2017.01.25 花水仙 ( ^ー゜)σ 語らふや花水仙のおちょぼぐち
同じ水仙でも、春になってから咲く大きな明るい黄色のラッパ水仙はそのまま春の季語になります。
この黄水仙は同じ水仙の花でもイメージがかなり異なりますよね。
明るくて陽気な、チューリップ的な印象というか、まさに春の喜びを体現しているような花ですもの!
※2014.04.20 黄水仙 ( ^ー゜)σ 気取ってもおしゃべりやまぬ黄水仙
花言葉といっても一種類だけではないよね。薔薇やカーネーションなどは色によっても違うしネ。
水仙の花言葉も複数あるけれど、真っ先にあげられるのが「自己愛」「うぬぼれ」「エゴイズム」
うーん、これはねえ? 日本人的な感覚からは少々異なるイメージだよね。
華やかさは無いけれど清楚で慎ましやかな印象があるもの。恥ずかしそうに俯いちゃってさ?
─── けれども、俯き加減に咲くその姿が、全く違った風に受け止められると・・・?
【カラヴァッジオによって描かれたナルキッソス 一部加工してあります】
水仙の学名はナルシサス(Narcissus )、ご存知ギリシア神話に登場する美少年ナルキッソスに
由来するものです。この美少年は慕い寄って来るニンフたち無視してきたものの、キューピッドの
悪戯で池に映る自分自身の姿に恋をしてしまいました。
毎日池の中の自分の姿を見つめながら切ない恋心を訴えますが、かなえられるはずはなし。
手を差し伸べて抱きしめようとしてもただ水の面が揺らぐだけ・・・そうして、身を滅ぼしてしまった
彼の居た池の縁には美しい花が咲きその花はいつしか「ナルシサス」と呼ばれるように・・・。
【画像引用:http://mythman.com/echo.html】
水仙の花がうつむき加減に咲いているのは、彼がいつも池を覗き込んでいたからだそうです。
また彼の名前からナルシシズム(自己愛)という言葉が生まれ、そのまま花言葉にもなりました。
けれども我が国では水仙の姿形そのものからは、静謐な美しさを感じ取ったのでしょうね。
愛され好まれたものの、不思議なことには和歌には殆ど取り上げられていません。
江戸時代に入り徘徊が盛んになって来てからようやく季題として取り上げられるように・・・
何といっても厳寒の季節に咲きだす可憐な小さな白い花が俳人好みだったのでしょう。
西洋と東洋、西洋と日本の感性の違いもあるのでしょうが、水仙の花を見て感じることも異なるよう
ですね。私にはどうしても 「うぬぼれ」や「ナルシシズム」という印象は受けません。
確かに、うつむいて水鏡を見つめ入っているようにも見えるのだけれど・・・。
うーん、やはり余りピンと来ないんだよね。そう感じるのは私だけでしょうか?同じように俯いていて
も、私には何かお祈りしている姿に見えるのです。 うなだれて真摯な気持ちで───
何を祈っているのかは分かりませんが・・・それでも、ひたむきな心でネ。
もうまもなく春が来ようとしているけれど、冬の魅力的な花である水仙、何度でも句に詠んでみたくて
今日はその姿を見たまんまのイメージで詠んでみました。
春は近くとも、外界では「新型肺炎」「コロナウィルス」・・・。世界的にもじわじわと拡がっているのが
数字の上でも実感されますよね。個人的な対策は限られているけど、出来ることはやっています。
───地には平和と安らぎを。 悪疫よ、退散せよ!
一日も早い悪疫退散を祈願しつつ今日はこれで終わりましょう。
最後までお読み頂きありがとうございました。