先週は連日30℃を越す夏日が続き、あっという間に初夏を通り越してしまったような陽気が続き、
身体がついていかずに少々バテ気味になっております(笑)さて、本日は久しぶりにのFavorite 詩歌
お気に入りの詩歌ということで、英国詩人ワーズワース(1770~1850)の大好きな詩を───
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虹
おど
わたしの心は躍る
大空に 虹がかかるのを見るとき
子どもの頃もそうだった
大人になった今でもそうだし
年老いてからもそうありたい
さもなくば死を!
子どもは大人の父である。
願わくば、私のこれからの日々、変わらず、
自然への敬虔な思いを持ち続けますように!
ウィリアム・ワーズワース
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こんにちは、本日の詩歌は英詩になりますが、学生時代の講義で英詩を習った時に、詩を理解する
には声に出して朗読するのが一番良いと習いました。このワーズワースの詩は短くシンプルな英文
でありながら、テーマがストレートに心に刺さり、すうっと沁み込む様に覚えられた詩です。
TOP画像に掲げたのはこの英詩の前半部分です。後半は以下のように続きます。
(但し、原詩では上記の日本語訳のように一行空けられてはいません)
さて、今日はこの詩を読んで頂くだけでもう充分かもしれませんね。
以下はワーズワースとこの詩に関して少々・・・興味の或る方はどうぞ宜しくお願い致します。
ワーズワースは英国の代表的なロマン派詩人であり、サー(Sir)の称号を持つ桂冠詩人でもあります。
生まれ故郷の湖水地方を愛し自然賛美の詩を数多く残した詩人ですので、そんなところから日本にも
ファンは多いんだよね。理屈抜きでしっくりと、肌で理解できる詩が多い(ような気がする)
【ワーズワース晩年の肖像と墓標】
桂冠詩人(けいかんしじん)とは、優れた詩人に与えられる称号。古代ギリシア・ローマ時代には
詩作も体育競技と並ぶ競技であり、勝利者には詩の神アポロンゆかりの月桂樹の枝葉で編んだ
月桂冠が授けられたところから由来する名称です。
【頭上に月桂冠を戴くダンテ像 ルーカ・シニョレッリ 『ダンテ・アリギエーリ』】
ワーズワースの場合は英国王室の優遇を受ける、一流の詩人であるということで───
これまで、ワーズワースの詩を紹介したことは一度だけありましたが
※2014.04.20 My俳句 黄水仙 ( ^ー゜)σ 気取ってもおしゃべりやまぬ黄水仙
この記事中で、ワーズワースの「水仙」 The Daffodilsという詩を載せていますが、
春が来た喜びの象徴として、水仙(おそらくこの詩では黄水仙)を登場させていますね。
Favorite 詩歌としてもっと海外の作品を取り上げたいのですが、文芸作品と異なり、より短い詩歌の
場合は(翻訳という壁があるだけに)その良さを伝えにくいという難があります。
けれども、この「虹」”Rainbow”は原詩がシンプルな英語で、テーマの虹も日本人である私たち
にもお馴染みですし、そのメッセージと美しさが素直に伝わりやすいのでは?と感じました。
(ちなみに日本語訳は平井正穂の訳を基にしてあります)
虹は極めて美しい自然現象のひとつですが、西洋・キリスト教に於ける虹はもうひとつ別の意味を
持ちます。単なる自然現象としてだけではなく・・・
すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。
これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。
わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、私は、私とあなたたち
並びに全ての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。 (中略)
雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべての肉なるもの
との間に立てた永遠の契約に心を留める。 神はノアに言われた。
創世記9章12節より一部抜粋
余りにも有名な「ノアの箱舟」の神の言葉です。
洪水の後に生き残ったノア一族と動物たちとの間で交わされたと人間の約束・・・
その印として神が大空に立てたのが虹なんですって!
【画像引用:https://www.biblegateway.com/passage/】
つまり、虹は神と人間との間の”契約”の印なんですね。呪いではなく祝福の下で生きること、
洪水によって世界が滅ぼされるのを二度と見ないことを望み、ノアの家族に託した人間への期待・・
この辺りは日本人には分かりにくいところなんですが、そんなところから愛と希望の象徴にもなって
いるようですね。キリスト教的には、初めての虹はこのときに立てられたということになります。
単に綺麗と感じるだけではなく、もっと神秘的な神のみわざである存在なのかもしれません。
【ルーベンス 「虹のある山岳風景」1635年】
まあ、そうした宗教的な意味は別にしても、この詩は私たちにも分かりやすい名詩だと思うわ!
いわゆる名言集などでは、この詩の中の一節、「子どもは大人の父親である」という部分が抜粋され
紹介されていることが多いけれど、子供時代のあの柔らかな感性、感動する心を大人になっても
忘れずに持ち続けたい、ということかな? ハッとして感動する心を失わないようにしたいという…
ちなみに英語では慣用句として用いられています。日本語でならば「三つ子の魂百まで」や「雀百まで
踊りを忘れず」に該当するのでしょうか? 簡単なようで難しいことなのかもしれないなあ。。。
だからこそ、そうした柔らかな心を持ち続けられるのが詩人なのでしょうか。
残念ながら私は詩人ではなく、単なる 変人 いや、凡人ですけれども
願わくば、私のこれからの日々、変わらず、
自然への敬虔な思いを持ち続けますように!
この部分には大いに共感できます。
自然への敬虔(けいけん)な思い、畏怖の念・・・
自然は、ちっぽけな人間たちに様々な素晴らしいものや恵みを与えてはくれるけれども、時として
人の命をあっさりと奪い取る存在でもある。日本の”神”はそうした自然の中から生まれたはず…。
手を合わせ虹に祈れば自ずから神こそ在りと信じたきかな 灰色の猫
天上の虹の美しさは格別ですが、地上にも美しいものたちがいっぱい♪
私は白い花が好きなのですが、五月のよく晴れた日に撮った可愛い白い花たち・・・
まずは繊細きわまる美しさの───
このコの名前はオルレヤさん。 別名がホワイト・レース・フラワー。
名前の通りというか、見たまんま遠目にはレース編みを広げたように見えるんだよねー。
また木に咲く花も捨てがたいのですが、このコは何の花か分かるかな?
真っ白な小さな花がかたまって咲いています。葉っぱに見覚えがあるのでは・・・
はい、秋に真っ赤な実で私たちを楽しませてくれるピラカンサでーす。
同じく秋の冬の赤い実でお馴染みの紅カナメモチさんも白い愛らしい花を咲かせます。
一般的なモチノキはモチノキ科なんだけど、この紅カナメモチさんはバラ科なんだよね。
真っ白な五弁花はいかにもバラ科の花らしい愛らしさです♪
また、木に咲く花ではなく、いかにも雑草っぽいのだけど思わずハッとしたのが↓このコ。
全体にグリーンがかって見えるのだけれども、花の部分は白いんだよね。
かなり背の高いイネ科の雑草っぽく見えて、高さは60センチくらいかなー。
実は私はこのコの姿を目に留めるのは初めてなんですよ。
たまに通る、山を切り開いた県道沿いで目にしたのだけれども。↓こういう道沿いの山際ね。
群生ではなく、まだ数本しか生えていなかったけれど、今後は増殖していきそうな勢いで・・・
思うに、帰化植物ではないかと・・・そうすると、トール・フェスク or ファインフェスク では
ないかと思われるのですが、実はよく分かりません。今後は気をつけて観察してみたいな。
最後にもうひとつ木に咲く花を載せて今日は終わりにしましょうね。
秋の味覚として欠くことのできない大好きな木の実をつけてくれるこのコ↓今が満開です♪
はいはい、栗の花でーす♪ 周囲はむせ返るような青臭いにおいがたちこめています。
さすがに狭い住宅地の中で栗の木を育てるのは難しいでしょうが、住宅団地を離れた所で
元から住んでおられる地主さんの広いお庭でずっと大切に育てられています。
西洋ヒイラギさんのグリーンの実が可愛いな♪ そうして、地には平和を───。
すこやかなる明日を信じて今日も無事に過ごせますように。