本日のMy 俳句[ 花濃きは死者の貌して迫りくる ] | 俳句でDiary ─ できるかな?

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私の俳句 萌え萌え日記

桜前線はもう日本列島の本州は通り過ぎていったでしょうか?うちの方ではソメイヨシノは散りかけて

八重桜にはまだ少し早い時期です。あなたのお花見はもうすみましたか?私はここ数年は桜を堪能し、

じっくりと相対峙する時間が昔よりは増え、若い頃よりはいろいろと感じることなども───

 

   

 

 

こんにちは、本日の季語は「」・・・の季語で、ズバリ桜の花のことです。もう既にご存知と

思いますが、日本の詩歌では「花」といえば桜の花を意味します。一般的に使う言葉でも「花見」と

いえば桜の花を指していますよね。梅の場合は「観梅」と呼び同じく春、早春の季語ですね。

※2014-03-31 Favorite和歌 ( ^ー゜)σ 世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

 

 

俳句の場合でも単に「花」とあれば桜の花を指しますが、広い意味でも春の花の”代表”として

花を意味します。まさしく春の花の代表選手、他にも花はいっぱい咲くけれども他の追随を許さない

スター的存在といってもよいと思います。そうして、日本人に最も愛される花───

 

 

なお、桜の花の季語としては、「花」だけではなく当然「桜」もあります。関連季語もいっぱい…。

 

※2014-04-02  桜    ( ^ー゜)σ    墓碑銘に桜ひと文字彫られたし

 

   

 

 

「花」といえば「桜」なのですが・・・

 

 

しかし、単純に 花=桜 というわけでもないのです。

それが日本語のデリケートなところなのですが、「桜」の場合は植物的な意味での重点が置かれます

桜、梅、海棠、牡丹etc のように様々な植物の花のひとつとしての桜としてネ。


「花」ならば見た人の心に映るその華やかな姿、もしくは何か妖しい姿に重きが置かれるのです。

いわば、単に肉体の眼で見るのが「桜」、心の眼に映るのが「花」とでもいうか・・・。

 

何を見るか・見出すかは、見る人の感性や心境次第といって良いかもしれません。

 

   

 

清楚な華やかさに心打たれる場合もあれば、若い頃には気付かなかったけれども、妖しい魔力を

 

秘めた存在として、あなたの目(=心)に映る場合もあるでしょうね。

 

   

 

 

今日の句では・・・

 

 

今回、「花濃き」(はなこき)などという言葉を使いましたが実は普通はこんな表現はしません(笑)

 

造語という程でもないけれど…。まあ、余り感心したことではありませんが・・・。



「濃い」というのは・・・その色や味などの感覚を刺激する度合いが強い・何かがその場所を埋めて

いる度合いが強い、等の意味合いを持つ言葉ですが、満開のみっしりと枝に花が付き息苦しい程に

咲いている様子が、私にとっては「濃い」というか、只事ではない濃厚な存在感を感じたからです。

 

   

 

 

桜の花はじっと見つめていると何故か不安な気持ちになってくる、そう思うのは私だけでしょうか。

花びらが余りにも儚げで、ちょっとした風でもすぐに散ってしまいそうだから?



勿論、それもあるでしょう。しかし、桜の花の場合はもっと足元が揺らぐような不安な気持ちに

なってしまいます。凝視の果てには眩暈(めまい)までしてくるような───

 

   

 

 

遠目には雲のように

 

 

季語の「花」には「花の雲」というサブ的な季語があります。これは空に浮かぶ雲を意味するのでは
 

なく桜が爛漫と咲き雲がたなびくように見える様子のことです。

 

   

 

花の頃の曇り空の下では、ブルーグレイの空と一体化してしまいそうに霞んで見えるよね。

 

こうした曇り空、花と一体になったような曇り空のことなどを「花曇」(はなぐもり)・・・

 

※2015-04-08   花曇  ( ^ー゜)σ     寄り添へど影はふたつに花ぐもり

 

 

そう、遠目には淡い雪のように雲のように見えるのだけれども、近くでじっと見つめると・・・

 

   

 

驚くほどの存在感があります。豪奢に枝にいっぱい咲かせている様子はまるで人の貌(かお)

 

のように見えてしまうのですよ、私は・・・。だれか特定の個人の顔というわけではなく漠然と、

 

けれども間違いなく人の貌、花のひとつひとつが人の貌に見えてしまうのは錯覚でしょうか? 

 

それとも私の目がおかしいのかな(笑)

 

   

 

 だけどね、やっぱりそう見えちゃうんだよなあ?

人の貌・・・もちろんそれは生きている人の貌ではありません。どうみても───

 

   

 

───そんな風に見える・感じられるのは桜だけです。

 

桜の妖しさは見えるはずのないものまで幻視させてしまうのでしょうか。

 

   

 

 

桜の花が満開の姿を見せてくれるのはせいぜい一週間ほど、やがて散っていくのですが、年ごとに

その魅力を増していくように思うのは、多分私が年をとったからだと思います。

年齢を加えるにつけ、単なる綺麗な花から様々な思いを喚起させる存在になってきました。

 

   

 

───地には平和と安らぎを。

 

より良き明日の来ることを祈りつつ、今日はこの辺で・・・またね。

 

 

 

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