本日の Favorite 和歌 [ 世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし ] | 俳句でDiary ─ できるかな?

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美しい桜は古来より愛されてきただけではなく、日本人の魂の根幹にかかわる花と言えます。

この件に関しては、異論を認めません (キリッ ・・・今日の記事はこの2行が全てだったりして (爆

桜TOP

こんにちは、本日からひとつ新しいカテゴリを増やしました。”Favorite 和歌”ですね。

形式は短歌ですが、近代以前の在原業平(825~88)の歌ですし、あえて別にしようかと・・・。

古今集に収められ 正確な表記は 世中にたえてさくらのなかりせは春の心はのとけからまし


桜の開花時期になるといつも思い出されるのがこの歌なのです。


さて、作者の在原業平は平安時代初期の貴族であり歌人として知られています。

父方では第五十一代天皇である平城天皇の孫に当り、母方では桓武天皇の孫に当る大変高貴な

血筋であり、身分ではありましたが 臣籍降下により在原姓を名乗ることに・・・。

業平1

【画像引用:wikipedia】


その後も、決して高い身分には置かれず、その辺り、少々屈折した部分もあったようですね。

政治的・社会的には不遇な面も多く、やや反体制的な一面があり、その分 自由奔放で

華やかな恋愛譚に飾られた生涯ではなかったかと言われています。


当時からから「体貌閑麗 放縦不拘」と言われていますが、これは「美男子でプレイボーイ」の

意味でしょうね。物事に拘らず自由奔放なキャラであると。 続いて「略無才学 善作倭歌」、

これは、学(基礎学力)は無いけれど和歌は上手く作るということかな? 

ちなみに、この時代の学問は漢学でした。

業平2

【画像引用:wikipedia】


六歌仙や三十六歌仙にも選ばれた歌の名手として知られていますが、紀貫之は『古今和歌集』の

序文で「心あまりて詞(ことば)たらず、しぼめる花の色なくて匂ひ残れるがごとし」と評して

います。うーん、これは誉めているのか けなしているのか少々微妙なんですが・・・


あふれ出る心情を上手く言葉に収められない・・・奔放な情熱を持て余し気味だったのかしら?

ソツなく端正にまとめられず、やや情熱過剰になってしまう、とか?

しかし、そこが逆に業平の魅力であったのでは、と現代に生きる私は思えるのですが・・・。


業平3

【画像引用:wikipedia 業平と高子、駆け落ち未遂の図ですね】



タイトルに揚げた歌は、非常に素直な歌ですから意味はあなたもよく御存知だと思います。

 ”世の中に一切、桜というものがなかったら、春をのんびりとした気持ちで過ごせるだろうに

・・・と言いながら、それだけ桜を気にして愛しているという事なんですよね。


時期になると、もう咲いたかな?と気にして調べさせたり、春の不安定な気候で桜の花が散って

しまうのではないかと やきもきしたり・・・あら、現代の私たちも同じだわ!




前書きに「なぎさの院にてさくらを詠める」とありますが、渚の院とは、淀川の近くの狩の拠点。

惟喬親王のお供をして出かけ、休憩中に桜を見て詠んだ歌で、いわば酒席のお遊びで詠んだ歌

なんですよね。決して改まった席ではなく殆ど即興でしょう。何の技巧も無い素直な歌です。


もちろん、”どうしてこの世に桜なんてあるのかしら? いっそ桜なんか無ければいいのに”

というのは 逆 説 であることもお分かりでしょう。 わざと逆に言うの


体重を気にしてダイエットを心がけている女性が、大好きなスウィーツ(チョコやケーキ)を

横目で見て、こういう美味しい甘いものが無ければいいのに!と考えたりw

肝臓を気にして好きなお酒を控えている方が、傍で満足気に一杯やっている人を見ながら

いっそ酒なんか無い方がいいのに!と思ったりする事と同じですよね。


もっと別の例えでいえば・・・誰か熱烈に愛する人ができて、でも打ち明けることも出来ず

悩みつつ「あの人に逢わなければ良かった」と思ってしまったり・・・

つまり、それだけ思いが深いということ。


そんなにも深い思いをかける桜の花について、一日だけでは記事が完結しないので 桜の開花時期

に合わせて、まずは手始めに桜への思いのあふれる和歌を・・・と考えました。

一千年以上前の人も、二十一世紀に生きる私たちも同じ事を考えているそれが桜・・・

なんですよね。  それでは、今日はこれで・・・またね。


< おまけ >

和歌と短歌の違いについてですが、 同じ五・七・五・七・七の形式ですよね。

和歌とは、日本の定型詩の総称のことです。(和=日本と考えれば分かりますよね)

短歌は和歌の1ジャンルなんですよね。古くは 短歌だけではなく長歌もありましたが、

平安時代以降は事実上 三十一文字短歌のみになりました。

(ちなみに、俳句も和歌の1ジャンルといえます。)


近代(明治以降)の短歌とそれ以前の和歌との違いといえば、昔風の決まりきった枕詞──

例えば、”ぬばたまの”や”あしびきの”etc ── を使用しなくなった点でしょうか。


その分、自由性が増して自分の言葉で歌い上げることが出来るのではないかしら? 

もちろん、俳句のように季語を考える必要もありません。五・七・五・七・七のリズムに合わせて

森羅万象、自分の身の周りのことから季節の事、テーマは問いません。短歌=恋愛関係と思い込ん

でおられる方も多そうですが、恋愛だけに限定してしまうのも如何なものかと  (爆

それは、むしろ短歌の可能性を狭めてしまうのではないかと思われるからです。