───本日は過去記事の一部再掲になります。
ずっと昔のことです。私の母方の祖母は群馬県の伊勢崎・連取地区に居住していましたが、九月の或る
夜のことです。戸外で大勢の人々が騒いでいるのに気付き、自分も外に出てみると・・・東の空が夕焼け
のように真っ赤に燃えているではありませんか! 夜なのに、異様な赤さで・・・あれは何だろう?
何故、東の空があんなに真っ赤に? 何かの天変地異の前触れだろうかと、みな口々に怯えながら
茫然と東の空をただ見上げるばかり・・・・・・大正十二年九月一日の夜のことでした。
【大阪毎日新聞 9月2日号外】
日本近代史に残る関東大震災───
大正時代、この震災の情報は当日の夜の時点ではまだ群馬県にまでは報知されていなかったのね。
この地域の人々が未曽有の大惨事を知ったのは、翌日以降のことになります。
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こんにちは、今日は9月1日です。「震災忌」また「震災記念日」や「防災の日」という俳句の季語にも
なっていますが、1923年(大正12年)9月1日、正午直前に関東地方全域と静岡県・山梨県の一部を
襲った大地震が起きた日・・・。
マグニチュード7.9、死者行方不明者約4万、焼失家屋45万、全壊家屋は13万で、震源地は相模湾
でした。後に「関東大震災」と名付けられた大災害です。
【オレンジ色の部分が1日、グレイが2日に焼失したエリア 赤丸が火災による旋風の起きた地点】
特に火災による被害が凄まじく、燃え上がる火は更に風を起こして火を呼び、遠く群馬県からも
東の空が赤くなっているのが目視出来るほどだったのですね。どれほど異様な光景だったでしょう?
あの赤い空の下で東京が燃えていた・・・おそらく祖母には想像もつかなかった事でしょう・・・。
夜空に紅く紅くあくまでも紅く・・・あれは街をそして人々のいのちを焼き尽くす炎だったのですね。
今日の短歌はそんな思いで即興で詠んだ歌です。相変わらず、出来は悪いのですけれど!
【大阪毎日新聞 9月2日付第4号号外】
【9月2日 安全な地へ避難しようと上野駅に押しかけた人々 2日夜には同駅も線路もろとも焼失】
関東大震災については、これまでにFavorite短歌として───
※2014.09.01 → とぼとぼとのろのろとふらふらと来る人らひとみ据わりてただにけわしき
今日は ↑こちらの記事の一部再掲ですが、歌人の窪田空穂(くぼたうつぼ)の短歌です。
オノマトペを効果的に用い、非日常的な大事件に出会い戸惑う人々の心情を表していますね・・・。
おそらくは、実際に被災された人々を見て思わず詠んだ歌ではないでしょうか。
【場所不明 避難する人々の実景写真に彩色したもの 画像引用:石井敏夫コレクション】
平成になってからも地震をはじめとする自然災害が非常に多いのですが───
険しい目をして 「とぼとぼとのろのろとふらふらと」 虚脱したように歩くのが、もしかしたら明日の私
かもしれないし、あなたかもしれない。 愛する家族や友人かもしれない。
「災害は忘れた頃にやってくる」ということを、改めて心したいものです。
また、思わぬ災害は地震だけではないことを昨今のあなたならイヤになるほど御理解しておられる
と思います。 大いなる天災ばかりではなく、大いなる人災だって覚悟しなければならない時代・・・
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また、俳句の季語として、この9月の「震災忌」を詠んでみたのが───
※2016.09.01 震災忌 → 耳奥に不協和音や震災忌
こちらでは、震災そのものではなく ”不協和音”を主体として詠んだ句になります。
ストラヴィンスキー作曲の「春の祭典」のことやバレエ、そしてニジンスキーのことなどを少々・・・
さて、今日は時間がないので、記事はこれでいったん終わりと致しますね。
午後か夕方くらいにでも、 リブログさせて頂いて<おまけ>としてまたアップするかもしれません。
それでは、この辺で・・・またね。