本日の<おまけ>過去を知れば現在がわかり、未来も? / 朝鮮半島の歴史 | 俳句でDiary ─ できるかな?

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私の俳句 萌え萌え日記

─── 大画面TVのように大きなスクリーンを見ている私。沿道には多くの人々が立ち並んで


日の丸の小旗を振っています。何かの祝賀パレードでしょうか、熱狂的な声が重なりワーンと響き、


何を言っているのか聞き取れない。何人もの人がインタビューされ、その声が通訳音声で流れる。

 

【画像引用:http://www.bell.jp/pancho/k_diary-17/2016_01_02.htm 但し、ぼかし&セピア加工済】

 

「嬉シイデス!モウ今日カラ日本人ダト…」「世界ニ誇ル文化ト経済大国ノ国民ダト胸ヲ張リ…」

 

「独立ナンカシタクナカッタ、アメリカガ無理ヤリ…」・・・はい、ここで瞬時に事情が理解できました。

 

 

日本が再び、自立できない朝鮮半島を合併することになったんだ! うっ、嘘だろ? 冗談でしょ?

 

やめろっ! やめてくれーっ!! トランプ遊びのババ抜きみたいに押し付けられたのかよ?

 

冗談じゃねーよ! やめてくれ、そっ、それだけはやめてくれぇーっ!!(絶叫)

 

 

── 自分の叫び声で目を覚ましました。だったのね。良かった!・・・はあ~っ(ため息)

 

自分が潜在的に一番恐れていることが具現化されたような夢を見てしまいました。夢だから、

前後関係はボンヤリですが、ババ抜きのように「何とかしてくれ!」とばかりに、日本が再び

 

朝鮮半島の面倒を押し付けられてしまう、という背筋も凍るような悪夢・・・

 

 

このところ朝鮮半島関連の記事を書いているせいでしょうかね。しかし、いい機会だし続ける

 

ことにしましょうか・・・題して「よい子の朝鮮半島史」(笑)過去の歴史なんか知って何になる?と

 

思うなかれ! 現在の朝鮮半島を知るには過去の歴史を学ぶのが一番早いんですワ。だって、

 

 

現在の国民性・民族性は積み重ねた過去の日々の結果

 

なので、その歴史が”いかなるものなのか?” を正しく知ることも必要になるはず。 現在の

 

朝鮮半島の民族性が確立されたのは、14世紀・李朝の頃からと私は考えています。

 

 

そうして、未来は…? 選択するのはかの国の人々です。ぴぴさんいわく──(引用させてネ)

 


今の状況では、過去の歴史の繰り返しが出来るか否か?

未知のパターンになりそうな予感です。
 

 

 

過去の歴史を繰り返す、とですね、外国に頼るしか生き残る道はない!

 

という事なんスよ。んで、未知のパターンだと、今後の可能性は ●● 含めて幾つかあるよ。

 

 

一番良いのは自力で乗り切ってくれる事ですが、実はこれが一番難しいのかもしれない。

 


結局は外国に頼ることになるかも?私利私欲でなく 国を憂う愛国者は出てこないのでしょうか? 

 

・・・今度の大統領選に出馬する人々の顔ぶれを見ると・・・もう朝鮮戦争も知らない世代なんだよね。

 

ちなみにこの戦争も教えられていないらしいのは驚きだ!

 

【朝鮮戦争により破壊された街 外国(日本)によって近代的に整備された街を、同族同士で戦争をして無惨にも

破壊してしまった・・・以降、韓国は日韓基本条約が締結され膨大な経済協力金と技術支援が得られるまでの間

北朝鮮よりも苦しい時代が続きます】

 

 

日本を非難する事でしか国家がまとまれないのは、実は恥ずべき事なんですけどね。

 

ヒットラーが、悪いのは全てユダヤ人だと主張したことに近いよね。すべて 日本が悪い!と。

 

【↑日本が消された世界地図 サムソン ギャラクシーノートのテレビCM】

 

 

1948年の建国以降に国家や軍のリーダーになった人物は皆、日本の教育を受けた人々ですが、

 

日本が手を引いた後の優れた人材が育っていないんだよねえ?

 

─── おっといけない、話がズレました。それでは、朝鮮半島の歴史にいきましょうか。
 

 

古代の四国時代&三国時代4~5世紀ごろ

 

 

本来ならば紀元前、日本の縄文~弥生時代の頃からがベストではありますが、そうなると1回だけの

 

記事では収まらない。なので、私たちが多少でも知識のある百済・新羅・高句麗の三国時代

 

からがベストでしょう。補足として<おまけ>の<おまけ>記事を別途アップしますが、こちらは

 

古代とは関わりの無い、現代の朝鮮半島の民族のルーツについての記事に

 

なりますが、それほど長い記事でもないので、こちらも是非あわせてご参照下さいね。

 

( ^ー゜)σ   <おまけ>の<おまけ>朝鮮半島の歴史/補足・エベンキ族というルーツ

 

 

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【福岡県の宗像大社です。宗像の地は古代の大陸文明を受け入れる窓口として重要な地でした】

 

さて、古来より我が国は朝鮮半島の国々と非常に縁が深かったのは学習もされたと思うし、よく

 

ご存知でしょうね。紀元前後に高句麗・新羅・百済が相次いで建国され、伽耶(かや)と合わせて

 

四国並立の時代がありました。日本に特に縁が深かったのは、この伽耶ではないでしょうか。

 

 

『古事記』また『日本書紀』によると、伽耶の国の王子たちが伽耶よりも肥沃な九州地方に旅立った

 

という記録も残されています。その後、伽耶は新羅に吸収されてしまうのですが・・・

 

 

文化大国・百済

 

 

そうして、百済です。古代世界においてこの国は世界に類を見ないほどの文化大国でした。

 

四世紀末ごろには、王仁氏(わにし)が来日して『論語』や『千字文』を伝え、日本に文字が普及する

 

きっかけを作ります。そうして、538年、日本文化のエポックメイキング的な出来事が・・・

 

 

聖明王による仏教伝来ですね。 当時の日本情勢は蘇我氏VS物部氏の対立時代で、その

 

受け入れ状況も、非常に興味深いのですが、今回は省きますね。

 

 

ただ、この時代の朝鮮半島の国々は、大中華帝国サマの地理書『山海経』や『三国志魏志東夷伝』

 

によると、「仁と義」「礼・勇・寛大」「自尊と武勇そして博愛と禁欲的な廉潔さ」の国と描かれています。

 

 

まさしく、紳士の国でした。「へ? 現代の朝鮮半島とは全然・・・」と思われても仕方ないよねw

 

だって、「日本の統治時代は良かった」と、本音を吐いた95歳のお年寄りが殴り殺される国だよ?

 

だよ?おまけに犯人は、”反日無罪”で たった懲役5年で許されるという・・・。

 

古代と現代とでは別民族ということを<おまけ>の<おまけ>で書いています)

 

 

その後は伽耶が新羅に併合され三国時代に、そしてこの百済も7世紀には新羅により滅亡

 

します。この時に、大量の亡命者が日本に逃れていきました。 

 

 

悲劇の始まり~新羅による半島統一!

 

【統一新羅の版図 7世紀の終わり頃】

 

 

駆け足で進みましょう。高い文化レベルを誇った朝鮮半島の”古き良き日々”はやがて新羅の

 

半島統一で終焉を迎えます。 新羅がこの三国を統一してはいけなかったの?とお思いかな。

 

いずれかの国がリーダシップを取り、ひとつの国にまとめても不思議ではないような気もするけど?

 

 

まあ、普通ならばそうなんだけど・・・。

 

ちなみに新羅は三国の中では文化的にも軍事力でも劣る国でした。

 

文化では百済、軍事力では高句麗のほうが遥かに優れていたんだよね。それなのに何故?

 

 

上の版図で見当がつくと思いますが、大唐帝国の力を借りたんですよ。つまり新羅は

 

外敵の唐と手を結び同じ朝鮮民族である高句麗と百済を滅ぼした

 

 

↑要は、そういうことなんですよねー。そうして・・・

 

朝鮮半島の運命が狂い始めたのが、この新羅による統一からではないか?

 

 

と私は考えています。百済が滅ぼされたのが660年、高句麗が滅ぼされたのが668年です。

 

(百済が滅びた後に大和朝廷が朝鮮半島に派兵したことも日本書紀に記されているよね)

 

つまり、新羅は同胞を滅ぼし、自らを唐の属国としてしまったんですよ。

 

 

上のほうにある、三国(四国)時代の版図を見てもらえば解ると思うけど、当時の高句麗は今の

 

北朝鮮から満州、シベリア方面にまで領土を持っていたんだよね。ちなみにこの高句麗は、隣の

 

隋と33回戦い全て勝利を収めています。軍事大国でもあったのね。

 

 

新羅は、この高句麗の持っていた相当の領土を放棄して(唐の助けで)国土を統一させたってわけ。

 

統一新羅(トンイルシルラ)というと聞えは良いけれど、自分たちの国を”大唐国新羅郡”

 

と、呼んだ記録も残されています。独立国であることを自ら放棄したようなもんだね。

 

 

唐の悪しき影響を受け始める新羅

 

 

やがて、新羅は文化的にも政治的にも唐の影響を大きく受ける事になります。

 

元号も唐のものを、名前や服装も唐風に。そして創氏改名が強いられて、三国時代までは二字姓

 

だったのを、唐風に一字姓となったのもこの頃からね。単なる風俗習慣だけならまだしも、ここで

 

民族の意識も大きく変えられてしまったのではないかと・・・事大主義のはじまりです。

 

 

事大主義(じだいしゅぎ)とは

 

 

朝鮮半島史を語るのに欠かせないのがこの言葉。

 

事大主義(じだいしゅぎ)と聞いてピンと来るでしょうか? まあ、国語辞書的に言えば・・・

 

自分の信念がなく、支配勢力や風潮に迎合して自己保身を図ろうとする態度や考え方

 

↑こういう意味なのですが、「寄らば大樹の陰」ともまたチョット違うんだよね。

 

 

他には、【全体に対する見通しもなく瑣末なことを誇大に騒ぎ立てる態度】これも事大主義といい

 

どちらかと言えば、日本ではこちらの方を事大主義と呼ぶのが解りやすいでしょうね。

 

 

以小事大

 

 

 

実は、この言葉は『孟子』から来ています。「小」が「大」に事える(したがう)こと、強い勢力には

 

付き従うという行動様式のことで、語源は『孟子』の「以小事大」から・・・これを朝鮮半島に当てはめる

 

と、この「大」というのは中華大帝国サマのことなんだよね。

 

 

つまり、自分たちより上にある国だから、ヒドイことをされても仕方がないと諦められる。

 

(日本は自分たちより下、つまり家来なので支配されるとくやしいし腹がたつ。前の記事でも書いたように同等はない)

 

 

小国である自分たちは分をわきまえて、大国である中華帝国サマに付き従う、支配勢力には

 

迎合して保身を図るという卑屈な態度をとる、これが朝鮮半島に於ける事大主義です。

 

─── まあ、あんまり良い外交政策とはいえないよねえ、どうでしょうか?

 

 

まるで根無し草のように・・・

 

【根無し草ヴァナ・ディール 画像引用:http://blog.livedoor.jp/zzkomuro7392/archives/52993369.html】

 

おまけに、ちょっと厄介なのは、この事大主義の従う国が、時代によって変化して行ったこと。

 

後でもお話しますが、李朝の末期になると、国内で政変が起きるたびに事大先が清、ロシア、日本、

 

戦後は米国と変化して行くんですよ。これは、柔軟性があると言えば聞えは良いけど・・・

 

 

フラフラと頼る相手を変えていく とも言えるよねえ?

 

クネちゃまが先祖返り(?)のように、グレートチャイナ様に尻尾を振りスリスリしていったけど。

 

しかし、米国のTHADDは断れないし、そうなると、元宗主国様が御不満でお怒りのご様子・・・

 

 

経済制裁も受けてヤバイのが現在の韓国でしょう。─── 事大主義の悪しき結果です。

 

皮肉なことには、クネちゃまのパパである朴正熙元大統領は、この事大主義を「民族の悪しき

 

習慣」として、何とか改革をしたいと考えておられたんですよね・・・。

 

【クネちゃまのパパです↑ 日本の陸軍士官学校を首席で卒業した大変なエリート! 日本の朝鮮半島統治は

優秀な人材は日本人以上にどんどん抜擢していったんだよね。まあ、その意味では公平だったとも言えるかな】

 

 

新羅の衰亡、そして高麗王朝に交代

 

【高麗王朝(918~1392)の国旗 全土統一は936年】

 

先を急ぎましょう。統一国家となった新羅ではありますが、9世紀に入り中央の権力が弱体化し

 

国内が乱れるようになります。地方では豪族たちが割拠するようになり、衰亡の果てに、936年

 

高麗王朝が誕生します。

 

 

国号は失われた高句麗を継承しようという意味合いが込められているそうですね。そうして、

 

失われた百済や高句麗の精神的な復興をめざし、民族の誇りを取り戻そうと努力した結果、

 

ふたたび仏教文化が興隆することに・・・

 

 

高麗を取り巻く東アジア情勢は・・・

 

【画像引用:http://www.bell.jp/pancho/travel/korea-8/history.htm】

 

この高麗の時代は、周辺からの異民族の侵入が非常に多かった時代ともいえます。

 

唐が滅び、宋が建国され、北部では遊牧・狩猟民族である契丹・女真、またモンゴルなどが国を

 

興します。そうして、チンギス・ハンがモンゴル帝国の創建者となり1231年、高麗に侵攻。

 

 

そうして、チンギス・ハーンの末子で第五代皇帝のフビライ・ハンが1271年に、中華の伝統を

 

受け継ぐ正統王朝として元王朝を樹立。その後は1世紀に渡りモンゴル人による漢人支配が

 

始まります。高麗は第一次モンゴル侵攻の後、いったん講和を結びますが、その後は抗戦を決意、

 

【13世紀、高麗の版図と蒙古軍の侵入】

 

この蒙古(元)軍と高麗の攻防戦は非常に興味深いのですが、ここでは端折りますね。

 

中央の正規軍であった三別抄はモンゴルへの無条件降伏を拒み、果敢に戦ったと記しておきます。

 

やがて、この元が日本へも侵攻しようとしたのは御存知ですよね。元寇です。

 

 

元の分裂、そして明が統一国家を

 

 

やがて、元は14世紀の半ばごろに内部分裂を起こし、混乱衰退していきます。

 

1368年には、再び漢民族であるが元を滅ぼし国家の統一を成し遂げますが、ここで高麗は

 

かっての新羅の裏切りにより失った旧高句麗領の奪回、領土回復を目指すのですね。

 

 

しかし・・・ここで、歴史的痛恨事がふたたび繰り返されることに・・・

 

 

祖国・高麗を裏切った李成桂が李朝を興す!

 

まあ、この1行で ↑すべてを語ってしまっていますがw

 

【注意:この時代にはこのタイプの銃はまだありません。あくまで、イメージとして、ね】

 

 

1388年、高麗の軍司令官であった李成桂(イ・ソンゲ)は明から遼東半島を回復するために 3万人

 

以上(一説によると10万人?)もの軍勢を率いて進軍中、鴨緑江河口の街に来た時、こう叫びます

 

「  敵は本能寺にあり! 」    ←おいおい(^^;

 

 

もちろん、 李成桂 は明智光秀ではありせんからw  こんなことは言いませんでしたが(爆

 

しかし、やってることは同じ(いや、もっと悪辣なんだ)敵である明と戦うことなくクルッとUターン、

 

平壌に引き返しクーデターを起こします。要は”主君殺し”ってことだね。

 

 

李成桂 は急に思い立ってクーデターを起こしたわけではありません。実は、かなり前から敵国の

 

明と内通して虎視眈々と狙っていたんだろうね。明の力を借りて政権を奪取したのさ!

 

 

高麗は、明と結託してクーデターを起こした李成桂により滅ぼされ

 

そうして1392年李氏朝鮮、李王朝の成立です。

 

 

 

歴史が繰り返された

 

 

賢明なあなたのことだから、もうピンと来ているでしょうが・・・

 

わかるよね? ここで、ふたたび悪しき歴史が繰り返されたんですよ。

 

 


唐と結託して、同じ民族である高句麗と百済を滅ぼした新羅

 

 

今度は明と結託して、同じ民族である高麗を滅ぼした李氏朝鮮
 

 

 

どちらも、お隣の大帝国サマ( 唐と明 )のお力を借りて国(新しい王朝)を興しているのさ!

 

自らの頭脳と実力だけで戦って、その結果として新たな王朝を興したんじゃないってこと。 

 

 

日本の戦国時代にしてもそうですが、国内をひとつにまとめるためには力と力の衝突は必至です。

 

どの国の歴史でも同じですが、ここで外国の力を借りてしまうというのは、ヤバくない?

 

だって、(本来は敵国なのに)その国に対して頭が上がらなくなってしまうよねえ?

 

 

おまけにクーデターによって成立した政権というのは、いつの時代でもどの国でも極めて不安定

 

というのが相場なんですよ。だから明にバックボーンになってもらうしかない。

 

明のヒモ付き国家になることを選択したんですよ。 うーむ・・・。

 

 

属国としての李氏朝鮮

 

 

かくして李氏朝鮮はこれ以降五百年間の間、大中華帝国サマを天子の国と仰ぎ、臣下として

 

属国として支配されることになります。この”朝鮮”という名も幾つかの候補の中から明の皇帝

 

朱元璋に選んで頂いた、というか下賜されたんだよね、国名すらも!

 

【迎恩門(ヨンウンムン)  1896年まで存在していた門で歴代王がグレートチャイナ様の使者様をお迎えする門。

後に日清戦争で日本が勝利し下関条約により、清の属国から 解放されたのを契機に取り壊し、新たな独立の

記念として独立門を同じ場所に建てました】

 

 

李氏朝鮮は、高麗王朝の王位を不当に簒奪して成立した王朝 なので・・・

 

自らの正統性を国民に強要するために 高麗時代の制度も文化も全否定

 

高麗が明に対して保っていた独立性まで弾劾し、大中華帝国サマの制度や文化をせっせと

 

取り入れました。 崇儒排仏 (スンユベブル)をスローガンに掲げ、仏教を徹底的に弾圧し

 

仏像や仏寺を破壊 。僧侶や寺院は山奥に逃げ込んだそうです。(仏教の復活は日本統治後)

 

 

その頃、破壊されて現在でも残っている 仏像などは ・・・

 

頭が切り取られたりして無くなっている ものが 多いそうです。

 

あれ?これって・・・仏像や神像の頭を切り取って壊すって・・・まるで、まるで・・・

 

 

 

このところ、日本の各地で仏像や神像を破壊する罰当たりな事件が相次いでいますが・・・

 

 

容疑者として某国の方が約一名逮捕されましたが・・・ひとりだけ? 

 

 

もちろん、決めつけているのではありません。その符合性に驚いているだけです。偶然かもね

 

でも、こうした破壊方法ひとつとってみても、文化の違いというか民族性が表れているような…

 

 

民族の顔が変わった?!

 

 

さて、こうして元(蒙古)の侵攻、高麗の滅亡から李朝の建国と続いているうちに・・・

 

朝鮮半島の民族に大きな変化がありました。ズバリ、顔が変わったんですよ。

 

元の侵攻以前の朝鮮半島民族の顔 がコチラ↓平面的で頬骨の高い東アジア系の顔だよね。

 

 

 

そうして、元の侵攻以降の民族の顔が、このようになったと ↓  ん?これは・・・?

 

今、私たちがイメージする韓国の多くの方々イメージがこういう風ではないかしら。

 

もちろん、これはこれで良い顔だと思いますが・・・

 

 

丁度その頃は、元(モンゴル)だけではなく、北方よりツングース系エベンキ族がじわじわと南下し

 

高麗に入り込み、じわじわと内側から侵略していた頃でもあるらしいのですが、その関係?

 

単純に、元の侵攻の影響だけとも思えないような気もするのですが、どうでしょう?

 

 

例えば、この男性などは或る種の民族的特徴が明確に出ているかなあ?

 

 

ここで勘違いして欲しくはないのは、他民族の容姿を云々しているのではないということ!


このように変化した、というだけのことですから・・・

 

 

ちょっと脱線しますが・・・

 

 

それにしても、↑この警察担当者が仰る事は正しいね。日本は盗難防止が不十分なんですワ。

 

そんな不届き者はいなかったから。その証拠に、古代よりの文化的建築物や文化財を盗んだり

 

壊したりする人間はいなかった(一部の例外と戦乱により消失したものを除いては)

 

 

無意識のうちに神仏の罰を畏れていたのでしょうか?例えば、ほら・・・あなたも御存知の奈良の

 

正倉院の宝物、あれが盗まれなかったのは世界的にも奇跡だよ!


 

 

やっと李朝まで来たものの・・・

 

 

さて、朝鮮半島史、古代から始まりやっと李王朝までたどりついたものの 文字数オーバー です。

 

脱線ばかりしているからね (爆 

 

 

李朝については前の記事でも写真とともにお話しましたが、まだ充分ではありません。


なので、もう少し、ね。 詳しく知ると、現代の朝鮮半島は実は李朝のまんま

 

だということも分かってくるでしょう、いやマジで。 それでは、今回はこの辺でね。

 

 

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