今日は八月の六日。地球の反対側ではリオデジャネイロ・オリンピックの開会式が開かれる日です。
世界中から集まった選ばれた選手たち、ずば抜けた身体能力と努力で勝ち抜いてきた彼らの健闘を
祈りたいものです。しかし、この日は日本人にとっては絶対に忘れてはならない日でもあります。
多くの人々が、たった一発の爆弾により、輝かしい未来を一瞬にして奪われた日でもあるのだから。
~ ~ 昭和二十年八月六日 午前八時十五分 広島 ~ ~
けふもまた灼け付く陽射し八月の六日なりやと黙し祈れよ 灰色の猫
以下は、2014年8月6日の記事の再掲プラスαになります。
表題に掲げた坂戸淳夫の句もそうですが、原子爆弾の犠牲になった人々の苦しみを悼み、
鎮魂の思いを新たにするにふさわしい句だと思うからです。(句の解釈等も新たに付記しました)
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こんにちは、本日の季語は・・・といつもなら続くのですが、今日掲げたFavorite俳句には季語 が
ありません。いわゆる”無季句”であり、伝統的な五・七・五の形もとってはおりません。
また、句の中に読点( 、)や一文字分の空白も入れたやや前衛的な句になっています。
今日は敢えて、いつもとは違うタイプのこの句を取り上げてみました。
この句は原爆を詠んだ句ではありません。それでも、今日にふさわしい句だと思うの。
今日は八月六日・・・「原爆忌」もしくは「広島忌」という季語があります。広島に原爆が投下 された日を
忌日として、夏の季語になっています。(但し、歳時記によっては長崎忌と併せ秋の季語とされています。)
作者は坂戸淳夫(1924~2010)、長野県生まれで愛知県在住の 孤高にして異端の俳人です。
おそらくは一般に名の知れた俳人とは言えないでしょうが、非常に印象深い句を詠んだ方であり
私自身も尊敬する俳人の一人なのです。
一見アバンギャルドに見える句が多いかもしれませんが、けれども根底にあるのは透徹した眼差し。
対象をじっと見据えた眼です。頭の中だけで作った句ではありません。
(頭の中だけで適当に作った句は、薄っぺらいのですぐ分かるんだよね)
これは・・・恐ろしい句です。非常に怖い句といえるかもしれない。───どこが怖いか?
水の中から・・・これは水とあるから海か河川でしょうか。何本もの手がまるで水生植物のよう に
突き出ています。何本もの手が植物のように”そよぐ”、そよいでいる、ゆらゆらと・・・
まるで幽鬼のように何処の誰とも分からない手が突き出て、そよいでいる。おそらくは何本も・・・。
決して牧歌的な風景ではありません。むしろ不気味でさえあります。そうして声なき声がその手から
叫び出ているような・・・「水を、水を」と。必死の叫び声で水を欲しがっている。
生者か死者か、それすら判然としないけれども、もはや生きている人の手とは思えません。
ならば、死者の手なのでしょうか。苦しんで苦しんで悶え死にした人の断末魔の声があの手に宿り
「水を、水を」と叫んでいるのかもしれません。
水を求める死者の思いは、そよぐ手の形となって私たちに、私やあなたに必死に呼びかける。
そうして、おそらくあなたは不思議に思い彼らに問いかけるかもしれない。
─── あなたは、いったいどういう死に方をしたのですか?
そんなにまで、「水を、水を」と狂おしく、死後もなお求めるのは・・・。
原爆が投下され、広島の街は一瞬にして壊滅状態になったとき、大火傷をおった人々は苦しみの
余り、熱から逃れようと市内に流れる多くの川に飛び込んだそうです。
ろくな医療設備も無く、焼け残った体育館のような所に辛うじて収容されても全身火傷には
為す術もなく油を塗るのが精一杯・・・殆どの方が水、水・・・と言いながら亡くなった。
坂戸淳夫のこの句を初めて知ったとき、私の頭に浮かんだのは被爆して苦しみながら亡くなった
人々の姿です。少しでも熱から逃れるため川に飛び込み、そうして水、水と言いながら・・・
被爆した方々が水を欲しがったのは、被爆の際に想像も出来ない程の熱線が身体を突きぬけ、
体内の水分が一瞬の内に蒸発してしまったからだそうです。
しかも、このような状態の方に水を飲ませると、体内で急激な反応が起こり その場で即死して
しまう場合も多かったとか。 想像できるでしょうか、死後もなお水を求めるほどの渇きが・・・。
戦後生まれの私は、戦争も原爆も知らずに育ちました。両親はもちろん戦争を知る世代なので
私には積極的に、戦争の苦しみや戦火に耐えた人々の手記・物語などを読ませたのでしょうか。
単に活字中毒者だから、その中に戦争に関する本がたくさん在っただけかもしれませんが・・・。
【私が読んだのは(家にあったのは)一番左側の単行本ですが、現在は文庫になっています】
被爆した広島の子どもたちの作文集『原爆の子』は父親が是非読むようにと私に勧めた本・・・
収録された作文は、作文としては決して上手に書けたものではありません。
それでも、その文章から伝わるのは圧倒的な、息苦しいほどのリアリティ。作り物じゃないの。
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夜中にとうちゃんが いもがたべたいといいました。私は はいといって いもをにました
いもがにえたといって おこそうとしたら とうちゃんは もう死んでいました
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今は手元に持っていないので記憶が曖昧ですが、こういう記述があり↑ この部分は何度読んでも
声を上げて泣いたっけなあ・・・。表現が淡々としているだけに、より悲しみが際立つからです。
中学生くらいになると『原爆体験記』を読んだはず。(私の子ども時代にはまだ関連書は少なかった)
こんな活字から、何が伝わる?と思われる向きがあるかもしれませんが、言語・文字によって
伝えられるものは確実にあるはず。何の為に文字や言葉があるのでしょうか?
少なくとも私は子どもたちの作文から、あの苦しみを(ほんの少しだけでも)追体験しました。
今日は八月六日です。広島に原爆が投下されて71年目の夏・・・。
当時広島市人口は約35万人、原爆により死亡した方の数は 急性障害が一応おさまった12月末で
約14万人と推計されています。 戦争? いや、あれはジェノサイドという方が正しいんじゃないの?
武器を持たない弱者に対して、一方的に圧倒的な兵器・原子爆弾を落とすのは・・・
今日も晴れた暑い暑い日になりそうです。 喉が渇くよねえ、こうも暑いと水が欲しくなるよねえ?
普通の生活をしていても喉が渇くのに、「体内の水分が一瞬の内に蒸発してしまった」人たちの
渇きは如何ほどであったことでしょう?
今日は、死後もなお、「水を、水を」と求める人々の声に耳を傾け祈りを捧げる日です。
─── 合掌。
【↑1972年に刊行された『原爆の落ちた日』、それからさらに新事実を書き加えた決定版です。
著者の半藤一利氏は、「昭和二〇年一月一日から八月八日までのことを主題に、事実に即して
まとめたものであります。私たちは原爆の悲惨だけを書こうとしたのではないのです。現代人が
体験した『戦争』そのものをも書き、告発したいと考えたのです」と語っています。
右の『夏の寓話』は私の大好きな漫画家・山岸凉子氏の短編集ですが、表題作の『夏の寓話』は
広島にも原爆にも何の関心も興味も無い、他人事だと思っている少年が、夏休みにたまたま
親戚の家に出かけた際の出来事の中で、不思議な少女と出会い・・・?】