本日のMy短歌[ 赤い舌ぺろりと出して逃げ込むは闇の世界の更なる闇へ  ~元少年Aの"罪と罰"] | 俳句でDiary ─ できるかな?

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いちおう"本日のMy短歌"としてカテゴライズしましたが、正確には"本日の<戯言>"とした方が

正しいかもしれません。短歌の形をとった<たわごと>かもしれませんので。なので、熟慮及び

推敲も致しておりません。明らかに事実に反する部分が有れば随時修正&付加の予定です。

もしも不快になればお許しを・・・(しかし、今日もまた長い記事になってしまいました)


罪と罰
【画像引用:ギリシア神話の"正義の女神"テミス像  http://www.renewamerica.com/ 】



さて、あなたもよく御存知の通り、去る6月10日に太田出版から、1997年に起こった神戸連続児童

殺傷事件の加害男性(32歳)の手記が出版されました。


よみがえった悪夢


酒鬼薔薇聖斗というおどろおどろしい名を名乗り、冒涜した遺体やメディアに対して犯行声明を

送り付けた犯人は逮捕されてみれば、当時14歳の中学生・・・。少年法により、以降、犯人の少

年は本名も身元も素性も明かされぬまま「少年A」として報道されることになります。

少年A



犯行の異常さについては敢えて詳細はパス。念の為に再確認したい方は→神戸連続児童殺傷事件

「少年A」は神戸少年鑑別所に移送され、精神鑑定等を受け関東医療少年院・東北医療少年院へ

移され、2005年に退院。その後の消息は分からないままに、今回の出版・・・


胸クソが悪いので敢えてタイトルは書きませんが、各メディアで報道もされていますので、あなたも

耳にされたはずです。この出版の是非を巡り各界で様々な論議がされているようですが・・・

(いや、”是非”というのは論点ではないかな。答えは、私もあなたも同じような気がします)



偶然見かけた"元少年A"の手記


私は当初、この本が発売されることを全く知りませんでした。

実際に手に取ったのも全くの偶然で、11日に名古屋に出かけたついでに某書店に立ち寄って

新刊・話題本の平台に積んであったのを見かけたから。POPも無かったので分かりませんでし

たが、何人もの方がその本を手に取り立ち読みしているんですよ。


(もしかすると、今ではコミックのようにビニール・シュリンクされているかもしれません)

タレント本でもなさそうだしと思い、表紙を見れば「元少年A」?!

思わず手に取ってしまいました。まあ、この時点で版元の営業戦略は成功しているのでしょうね。



私のチラ読み感想は・・・


全部は読んではいないし、また惹きこまれるほどの名文でもないし、あくまでも立ち読みでペラ

ペラと拾い読みして読んだ限りでは・・・


自分語りの下手なポエムでした。

ただ、隠しようのない自己顕示欲と自己憐憫で彩られていたな。

終始一貫して”僕は、僕は、僕は ”・・・とあるばかり。



↑私の個人的な感想ですし、熟読したわけでもありません。また、一読して難解で理解できない

ような論文風でもハイ・ブラウな文章でもなかったので、読み間違えようも無いと思うけれども

ざっと読んだ限りでは自らが殺めた方への謝罪(らしきもの)は無かったような・・・?

かわいそうな僕



何のため・誰のために書いたのか?


印象に残っているのは、この本を書くようになったのは、「自分の過去と対峙して、それを書く

ことが唯一の自己救済であり生きる道である」という意味のことが書かれていたこと。


はあ? 自己救済ですって?!

結局は、自分のことしか考えていないってことかしら。

自分の抑えがたい衝動と欲望からおぞましい犯罪を犯し、今度も自分のため?



いや、普通の人が普通に自己救済を目指すのは理解できるよ。

心ない他者によって傷ついた心を癒し、前向きに生きるためにはまず自分自身を許し、救済する

必要があるのだけれども・・・



それを堂々と、傷つけた側が広言するのは異様ではないですか?

出版までして世に問うべきことでしょうか。


己の心を綴ることは・・・


確かに、己の心情を文字にすることで改めて自分自身を振り返り、見つめ直すことは出来ます。

なので、彼がひそかに自分を見つめるために日々思うことや過去の罪を綴るのならば、それは

別に差し支えはないと思うし、それが”気付き”や”贖罪”のスタートになれば意味がある


しかし、彼が選んだのは商業出版という方法でした。いや、商業出版であっても別にかまわない。

その作品・手記が謝罪と己の罪の許しを乞う目的であり、こうした犯罪を抑止するために自分が

礎となり、社会にとってプラスになるように努力する覚悟が出来ていれば・・・


しかし、そのためにはまず自分自身を曝け出し、その上で犠牲者及びその家族や世の中に対して

許しを乞うのが筋だと思うのですが・・・。

元少年A




永遠の「少年A」である限り、救いは・・・ない。


おそらくは多くの方々が違和感・嫌悪感を持たれるのは、この点ではないでしょうか。

「元少年A」という無機質で記号のような仮面をかぶったまま、出版という公的な手段を取った

彼に対して、改めて犯した罪を思い出し おぞましい気持ちでおられるのではないかと?


確かに、自身の正体を明かせば「開き直りか!」とバッシングを受けることもあるでしょう。

もしかしたら、身の危険を感じることが起こるかもしれないし、自業自得だと嘲笑されるかも?

しかし、その反面、受け入れ庇ってくれる人々も(少数でも)獲得できるのではないかしら。


なぜ匿名のままなのでしょうか。現在は32歳という社会経験もある立派な成人です。

それでいながら「少年A」、いや「元少年A」とは・・・。

その姿勢には、出版物という公的な手段で、自己表現しようとする覚悟は見られません。

あくまでも自分の身を守り顔を隠し、社会にも御遺族にも背を向けているのだから・・・。


背を向けたまま




御遺族の方々をさらに苦しめるだけ・・・


あなたも御存知のように、少年法で守られた彼について、御遺族に対しても何の情報も与えられ

ませんでした。審査も非公開であり、被害者の言い分に対して反論も出来ず、処分内容も知り得

ない状態のままでした。


今回の出版に当たっても、事前に何の連絡も相談もないまま寝耳に水の出来事であり、発表され

たコメントを読んでもその無念さと悲痛さは充分に伝わりましたとも!


御遺族にとっては、あの事件はまだ終わっていないような気がします。それどころか・・・

今回の出版によって加害男性に二度殺された、私はそう思っています

殺害されたJ君のお父上のコメントですが、要は元少年Aは少しも変っていないのかも・・・

殺人者



仮に謝罪されたとしても、どこの誰かも分からない人に謝罪されて何の意味があるのか?とも

思ってしまいます。実体のない幻のような人間に我が子を惨殺され、自分たち家族の実名その他

まで晒される「マスコミによる暴力」まで受けたのですもの・・・


この少年Aは被害者の命日に手紙を送っていたようですが、今年は膨大な量があり、J君の父上

も「もういいのではないかと思った」ほどの内容だったそうです。なのに、出版? それは・・・


今回の手記出版は、そのような私たちの思いを踏みにじるものでした。結局、文字だけの謝罪

であり、遺族に対して悪いことをしたという気持ちがないことが、今回の件でよく理解できました。

もし、少しでも遺族に対して悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、出版を中止し

本を回収してほしいと思っています。
」(J君の父上のコメントより一部抜粋)




出版までのいきさつに驚く

文春1
【引用:週刊文春6/25日号】


この手記は太田出版から出版され、持ち込み原稿であったとという話が当初伝わりました。

持ち込み? つまり元少年Aの方から売り込んだわけですね。で、それに乗ったと・・・。

倫理的配慮云々よりも、まず話題性であり売れる・商売になると踏んだのでしょうね。


しかし、上記の週刊文春の記事によると、当初は別の出版社にアプローチしていたとか・・・



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  幻冬社の見城徹社長(64)にその封書が届いたのは2012年のことだった。

  差出人の名前は裏に記されていた。

  元少年A(酒鬼薔薇聖斗)

  特徴的に角張ったその筆跡は、世間を恐怖に陥れた18年前の犯行声明と同じだった──。


■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━週刊文春6/25日号━━━━━━■


中の手紙は、手書きで見城氏に宛てた長文の手紙であり、手記出版を熱望するAからの熱烈な

ラブコールであったとか・・・

スター編集者であり、様々なメディアにも登場する見城氏に惚れ込んだAからの連絡でした。

見城氏はAと連絡を取り合い、2013年に直接会うことになります。



まずペンネームでの小説を勧めた見城氏


Aの「書きたい」という強い要求を感じ取った見城氏は、匿名で小説を書くことを勧めます。

出版社としては商売にならなくとも、「書きたい」という欲求はかなえられるからと思ったそう

です。小説でなく手記・ノンフィクションならば、越えなければならないハードルが余りにも高

いことが分かっていたからでしょうね。世間の評判にもなるしバッシングもされる・・・


また、A自身も自分の消息が知られるのを極度に恐れていたとのこと。

しかし、それでいながらも、あくまで手記にこだわったのがAだったそうです。



いったん手記は書き上げたものの・・・


4か月後、書き上がった原稿は「贖罪意識の乏しいもの」だったそうです。

何度も書き直しを命じられている内に、生活する上でも困難なのでお金を貸すこともあったとか。

けれども、出版の見通しは立ちません。


ちなみに、猫を殺す場面やJ君の殺害シーンについてもかなり詳細に書かれていたのを削った

そうですが、今回の太田出版のものでは一部復活させているようです。


編集者としての見城氏にとっては、この手記の出版には3つの越えねばならないハードルがある

と考えました。


1:彼自身が本当に贖罪意識を持つこと

2:実名で書くこと

3:遺族の方に許可を貰うこと



全くその通りですよね。これは、まっとうな社会人として当然のことだと思います。

しかし、このハードルを越えるには相当な困難が・・・

やがて、週刊新潮にこのことが報じられ、見城氏はこの時点では出さないと答えたとか。



太田出版など3社を提案し、太田出版の社長に引き合わせる


「僕は出すのはまだ先だと思っていたんだけど、彼は書き切ったんだ。限界だったんだろう」

──見城氏の弁です。

上記のハードルを超えない内は幻冬舎では出せない。他社ならば或いは・・・ということだった

のでしょうか。限界だったのは、見城氏の指導? それとも少年A自身の限界?

永遠の少年A


結果として太田出版から、著者「元少年A」という名で出版されることに・・・

見出しもタイトルも全て編集ではなく自分でつけたそうです。



"殺人ビジネス"は大成功?! しかし・・・

文春2
【引用:週刊文春6/25日号】


極めて下世話な話になりますが、商業出版物の場合は印税というものが発生します。

かってのグロテスクで残虐な犯行がそのままお金になるわけですが、何という前例を作ってくれ

たことか! しかも相変わらず匿名で姿を隠し自分の立場を守ったままで・・・


Aの手記は初版10万、これは昨今の出版事業ではベストセラー作家並みの刷り部数なんだよね。

更には5万部の増刷が決定済みです。


一部の書店では取り扱わないという姿勢を見せている処もありますが、それでも多くの人が好奇

心から手に取るのでしょうね。私がこうした記事にしているのも或いは彼に加担しているのかも

しれませんが・・・

罪と罰



"元少年A"は罰されてはいない


さまざまな意見が取り沙汰されていますが、彼を弁護する意見として目立ったのが「彼は既に罰

を受けているから」という意見です。もしくは学術的な価値とか・・・。


いや・・・罰なんか受けていないよ? 少なくとも刑事罰はね。

彼が受けたのはあくまでも「更生」のための支援ですから。そう、敢えて支援と呼ぼうね。

それとも医療措置とでも呼べばよいのでしょうか?


彼は少年法によって守られました。
しかし、逆の見方をすれば罰を受ける権利を奪われたとも言えます



医療の専門家への学術的な価値云々はわかりません。

しかし、ならば商業出版の必要もなく支援者に対してそういった機関に自分の存在が役に立たな

いかと相談も出来るはずですよね。 敢えてそうせず商業ベースに乗せたのは何故かなあ?




闇から闇へと血まみれの姿を消すのか


そうして、彼の手記の中で、もう一か所印象に残っているのが・・・

(なぜ人を殺してはいけないのか)よく分からない、もしも殺してしまったら自分が苦しむこと

になる
、と書かれていました。


そう、これが彼の答えなのかもしれません。

自分・自分・自分が苦しむって・・・他者の苦しみには一切考慮しないままなんだね?

だから猫も人も殺すのに躊躇せずに出来た。快楽であると何度も本人が記している通りに。


要は、被害者の父上が仰っていたように彼は何も変わらず、矯正も不可能だったのでしょうね。

匿名の闇の世界で残虐な犯行を犯し、そしてまた闇の世界へと・・・


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まだまだ書き足りない思いもありますが、今日も長くなり過ぎましたね。

最後まで読んで下さり、本当にありがとうございます。

それでは、今日はこれで・・・またね。


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