信長新生PK 大掾編(超級)第25話:弟の帰還(1565年7月~68年9月) | はいぎょうのブログ

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最近はもっぱらのぶやぼです。

 

 

 

 12年3か月経過

 

 城:11(常陸半国、下野半国、武蔵国、下総国の一部)

 武将:30

 兵数:約4.5万

 収入:+2359

 

 政策:領土保全(LV1)、制度改新(LV2)、制度改新・弐(LV2)、灌漑整備(LV1)、裁量権委譲(LV1)

 奉行・家宰:鉄砲教練、武士心得、忍心得

 伊達家、長尾家と同盟

 

 大掾家滅亡の危機に立ち上がった5人の娘たちは、伊達家、長尾家と誼を結ぶも、北条家、里見家、太田家、武田家から厳しく包囲される。しかし1561年5月、大掾家の所領拡大にとっての地政学的障害であった太田家をようやく滅ぼし、地盤が安定化する。北条、里見を早めに処分して西進したいところだが、ここ2年、一進一退の攻防を強いられている。

 

●1565年9月

 

 …そもそも。

 

 このシリーズは、大掾家の当主常幹(つねもと)が討たれ、後継ぎである大掾慶幹(よしもと)が行方不明になったところから始まりました。その慶幹は鹿島郡で国衆に身をやつしていることが判明したのが第2話。

 

 いつか府中城にお迎えしたいと思いつつ既に12年が経過。

 

 …そしてようやくお迎えする準備が整ったのですが。

 

 父上はすでに他界しておりました。代わりと言っては何ですが、その時に一緒に行方不明になっていた弟の貞国を発見。姉とともに天下取りの道を歩もうぞ。

 

●1566年3月

 

 挨拶が硬いなw お姉さんやで。

 

 

 

 さて。ここんところ膠着状態が続いております。動画収録してからほぼ1か月経ってるので、なんで膠着状態になってるのかはよく覚えていませんw

 

 でもたぶん、

 

 次の攻略目標である玉縄城が籠城設定で、おかしな兵力抱えている。里見側に回ろうにも、

 

 里見側の前線の佐倉城も籠城設定。全兵力で押し掛けたらいけなくはない気がしますが、たぶんうちの兵半分くらい失うでしょう。

 

 まぁ上記が膠着状態の理由だったと思います。

 

 突破口になったのは、半分やけくそでやった以下の作戦でした。

 

●1567年10月

 

 佐倉城を無視して、椎津城に突っ込む、というものです。

 

●1567年11月

 

 お~集まってきた。

 

 よし、これはもらった!

 

 兵数的には優位なんですが、気を付けないといけないのはこの鼓舞ポイントで戦わないことですね。

 

 よしきまった。

 

 これで椎津城が簡単に落とせる状態に。

 

●1568年1月

 

 椎津城陥落。

 

 すると、支援を失った佐倉城の兵が減少。この数なら佐倉城の攻城戦行けそうです。

 

●1568年2月

 

 ほないきましょか。

 

 おや?

 

 え、開城の上、停戦もしてくれるんかいな。

 

 じゃぁこれで。

 

 そして。

 

●1568年9月

 

 

 なんとあっけない。