※ これは信長の野望・大志のプレイ記録です
あらすじ:シナリオ4をプレイ。2度の滅亡を経て、3ゲーム目では河野家、毛利家と同盟を結び、長宗我部家の城を切り取る機会をうかがっていたところ、1570年9月、同家が一条家に侵攻を始めたため、その虚を突いて攻勢。その直前に唯一の家臣、横山友隆が病死するも、強力な毛利家の援軍を得て、無事2城を制圧。
●1571年2月
西園寺攻めの指揮を自ら執っていた毛利元就が病死。これで毛利家が四国制圧を諦めてくれればよいのだが。後継の輝元の思考パターンってどんな風になってるんだろう。
●10月
よし、また後背を衝く作戦に出るか。
なぜか毛利家から援軍を得ることはできず、今回は河野家から兵を借りる。
●11月
この隙に1城でも。
くっ。長宗我部軍の行軍が早い。しかし何としてでも須崎城は落とさねば。
●12月
●1572年1月
まだ来るか。
おいw落とさせてくれよなw
邪魔されてなかなか落ちんw
●2月
てめぇ、漁夫の利を得ようというのか。断じてそれはならん。
てか、輝元に代わっても、四国制圧という目標は変わらないのね(涙)
●3月
元親、何でそんなに兵かき集められるw?無念だがこれで正面衝突したら絶対うちが負ける。兵を退くしかないか。
せっかくここまで追い詰めたのに1城も取れずに撤退。そして長宗我部家の武将は全部毛利家に持ってかれるだろう。まぁ詰んだな。そもそも本山親茂でプレイとか無理ゲーだったんだよ。
…ん。待てよ。
ここで我々が撤退するということは、あの元親3800は毛利の守りに行くだろう。そして毛利の方が強いから、たぶん毛利が勝つだろう。そこで我々が再び兵を興せば、ほぼ兵ゼロのところを我々が攻撃できる、という好都合な状態にならないか?
あわよくばごっつぁんゴールだよ。
よし、これしかない!
●4月
ちょっとわかりにくいですが、毛利軍が長宗我部軍を撃退した上で、中村御所を制圧。再び長宗我部軍が結成されて、今度は窪川城で迎撃しようとしている図です。既に長宗我部家の兵はわずか2400。
よし、このタイミングだ。出兵!
●7月
米ゼロだがあともうちょいw
来た!